かも知れません。Rの音を皆なLのように発音していました。普通日本人の方だと、Lの発音が旨くゆかないようですね」とちら[#「ちら」に傍点]と私共の方を見ながらいった。事実私共はLとRの発音では、下宿の内儀さんからまで、やかましく云われていたのである。私の頭脳の中には柏の下宿の入口で擦れ違った仏蘭西人の顔が浮んでいた。屹度あいつが支那人を手先に使って盗ませたに違いないと思った。然し私がここで仏蘭西人の事などを手柄顔に持出すと、ついそれからそれへと糸をひいて、彼女の事にまで云い及ばねばならぬ破目になると思って、秘密の上に、また秘密を重ねてしまった。その代り私は柏の為に素人探偵の役を勤めて、必ずあの仏蘭西人を探出して絵を取戻そうと決心した。私はどうしてもあの仏蘭西人を犯人とひとりぎめにしていたのである。
私共はカクストン氏を遺して会場を出た。柏はすっかり気抜けがしたように呆乎《ぼんやり》していて、碌に私の言葉に返事もしなかった。私は最初柏を下宿まで送っていって、気持を引立ててやろうと思ったが、私には考える事があったので、公園の角で、
「おい、そう悄気《しょげ》るなよ。二三日見て居給え、君の絵は屹度探し出して見せるよ」と彼の肩を叩いて別れた。
睡ったような沈滞した午後であった。高い建物の間々から幾筋も往来へ射込んでいる赤い西日の中で、黄色い塵埃が金粉を吹飛したように躍っていた。
私は塵埃をかぶった靴の先を視詰めながら、様々な事を考え耽っていた。その一つは矢張り「彼女」の事であった。「彼女」は何故あの晩、私に行先をピムリコと云わせておいて、中途からV駅の西口で降りたのであろう。矢張り私にまで行先を晦ます為であったのであろうか。「彼女」の住居はベーカー街であるのに、それと全く反対な方向へ逃げていったのはどういう理由であろう!
私は識らず識らず、V駅の西口まで来てしまった。尤もそこから私の住んでいるガスケル家へゆくには、さして遠廻りでもなかった。淋しい街を一つ越えると、すぐそこはグレー街であった。
私の第一の仕事は、いまのところ例の仏蘭西人の居所を突止める事であった。私はそれに就いて何一つ手掛りは持っていなかったが、唯一つベーカー街の彼女の家で彼の足下から拾ってきた新聞の文字だけが頼りであった。それには El 32[#「32」は縦中横]という文字があったのをよく記憶してい
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