を詠まずといふ人あれど此歌には詠みこみあり。しかも屎まると詠みたり。
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勝間田の池はわれ知る蓮無ししかいふ君が鬚無きがごと
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こは人の知れる歌なり。或る人、勝間田の池の蓮を見て歸りて其趣を女に語りけるに女此歌を詠みて戲れたるなり。其實、池には蓮多くあり、其人には鬚多くあるを反對にいへる處滑稽にして面白し。此歌の第二句「池はわれ知る」とあるは「池は蓮無し」といふべき其中へ「われ知る」の一句を插入したる處最も巧なる言葉づかひなり。後世の歌、此變化を知らざるがために單調に墮ち了れり。萬葉調を主張しながら「句の獨立」などくだらぬ論を爲す者は論語よみの論語知らずとやいはん。ついでにいふ、前の歌も此歌も三句切なり。
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奈良山の兒の手柏のふたおもにかにもかくにもねぢけ人の友
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佞人《ねいじん》を詠めり。此歌、殺風景なる佞人を題としながら其の調の高きために歌が氣高く聞ゆるなり。此調の高き所以は初句より一氣呵成に言ひ流し最後に名詞を以て結び、一箇の動詞をも著けざる處に在り。末句を八字にしたるも結ぶに力強ければなり。此調萬葉以後に無し。
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吾妹子が額におふる雙六のことひの牛の鞍の上の瘡
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此歌は理窟の合はぬ無茶苦茶な事をわざと詠めるなり。馬鹿げたれど馬鹿げ加減が面白し。
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寺々のめ餓鬼申さく大みわのを餓鬼たばりて其子産まさむ
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これは大みわの朝臣といふ人が餓鬼の如く痩せたるを嘲りて戲れたる者にて、女の餓鬼が大みわの朝臣を夫に持ちて子を産みたいといふ。といへる、奇想天外なり。普通ならば「夫に持ちたい」といふばかりにて結ぶべきを更に一歩を進めて「其子うまさむ」といふ處作者の伎倆を見るに足る。ついでにいふ、前の歌の「雙六《すごろく》」此歌の「餓鬼」皆漢語なり。[#地から2字上げ]〔日本 明治32[#「32」は縦中横]・2・28[#「28」は縦中横] 二〕
[#底本ではここに「編注」あり。「寺々の」の歌の最後は普通「産まはむ」と訓む、という内容]
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此頃のわが戀力記し集め功に申さば五位の冠
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「功」「五位」皆漢語なり。戀に骨折る功勞をいはゞ五位ぐらゐの値打はある、と自ら戲れいへる歌なり。
戀に骨折る程度ともいふべき事を「こひぢから」といふ一語につゞめたる作者のはたらき畏るべき者あり。此の活用あるため萬葉は常に調子高き事を得たるに反し、古今以後にては詞は總て古きによるの主義にて全く造語を禁じたるため皆腰拔の歌となりたり。時として近時の俗謠に調子善き者あるは詞に束縛せられずして却つて詞を活用するに因る。自ら萬葉の旨を得たるものなり。
長歌はこゝに論ぜざる者なれど餘り珍しければ前に言ひたる蟹の述懷の歌一首を擧ぐべし。
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おしてるや難波のを江に、庵つくりなまりて居る、蘆蟹を大君召すと、何せむにわを召すらめや、あきらけくわが知る事を、歌人とわを召すらめや、笛ふきとわを召すらめや、琴ひきとわを召すらめや、かもかくもみこと受けむと、今日今日と飛鳥に到り、立ちたれどおきなに到り、つかねどもつくぬに到り、ひむがしの中の御門ゆ、參り來てみこと受くれば、馬にこそふもだしかくもの、牛にこそ鼻繩はくれ、足引の此片山の、もむ楡を五百枝剥き垂れ、天照るや日のけに干し、さひづるやから臼につき、庭に立つから臼につき、おしてるや難波の小江の、はつ垂れを辛く垂れ來て、すゑ人の造れる瓶を、今日行きて明日取り持ち來、わが目らに鹽ぬりたべと、申しはやさも、申しはやさも
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これは初より終迄蟹の詞にて、大君が蟹を鹽漬にして楡《にれ》の皮に交ぜて喰ふ、といふ事をのべて斯くいへるなり。此大意を俗語にて言はゞ「難波の海に我(蟹自らいふ)が穴を造りて住んで居ると、君よりお召しがある、何事に召さるゝであ〈ら〉うか、我を歌人と思ふて召さるゝでもあるまい、笛吹や琴ひきと思ふて召さるゝでもあるまい、とにかくに仰承らんと飛鳥の宮に行きて承れば楡の皮を乾して臼について、難波の鹽の垂れ初の辛い處を取つて來て、瓶を明日持つて來て、我が目へ鹽を塗つて喰ふて下され喰ふて下され」とでもいふやうな事なるべし。言葉つゞきの理窟に合はぬ處あるは却て面白し。
此等の歌は皆趣向の珍しきのみならず、其趣向が文學的の趣味を帶び居るがためにいづれも善き歌として余は賞翫するなり。此一卷は萬葉の光彩を添ふると共に和歌界の光彩を添ふる者として余は特に之を抽《ぬ》き出だしゝなり。然るに所謂歌よみ等の之を擯斥《ひんせき》するは其趣向の滑稽なりとの理由による者にやあらん
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