方からあやまります、といふので、ヂツと手を握られた時は少しポツとしたよ。地獄ではノロケが禁じてあるから深くはいはないが、あの時はほんたうに最う命もいらないと迄思つたね。したがお前の心を探つて見ると、一旦は軽はずみに許したが男のいふ言は一度位ではあてにならぬと少し引きしめたやうに見えたのでこちらも意地になり、女の旱はせぬといつたやうな顔して、疎遠になるとなく疎遠になつて居たのだが、今考へりやおれが悪かつた。お前が線香たてゝくれるとは実に思ひがけなかつた。オヤまた女が来た。小つまの連かと思つたら白眼みあひにすれ違つた。ヤヤヤみイちやんぢや無いか。今日はまアどうしたのだらう。みイちやんに逢つては実に合す顔が無い。みイちやんも言ひたい事があるであらう。こちらも話したい事は山々あるが最う話しする事の出来ない身の上となつてしまつた。よし話が出来たところが今更いつてみてもみんな愚痴に堕ちてしまふ。いはゞいふだけ涙の種だから何んにもいはぬ。只こゝからお詫びをする迄だ。みイちやんの一生を誤つたのは僕だ。まだ肩あげがあつて桃われが善く似あふと人がいつた位の無垢清浄玉の如きみイちやんを邪道に引き入れた悪魔は僕だ。悪魔、悪魔には違ひないが併し其時自分を悪魔とも思はないし又みイちやんを魔道に引き入れるとも思はなかつた。此間の消息を知つてる者は神様と我々二人ばかりだ。人間世界にありうちの卑しい考は少しもなかつたのだから罪は無いやうな者であるが、そこはいろ/\の事情があつて、一枚の肖像画から一篇の小説になる程の葛藤が起つたのである。その秘密はまだ話されない。恐らくはいつ迄たつても話さるゝ事はあるまい。斯様の秘密がいくつと無く此墓地の中に葬られて居るであらうと思ふと、それを聞きたくもあるし、自分のも話したいが、話して後に若し生き還ると義理が悪いから矢張秘密にしておくも善からう。とにかく今日は艶福の多い日だつた。……日の立つのも早いもので最う自分が死んでから一周忌も過ぎた。友達が醵金して拵へてくれた石塔も立派に出来た。四角な台石の上に大理石の丸いのとは少としやれ過ぎたがなか/\骨は折れて居る。彼等が死者に対して厚いのは実に感ずべき者だ。が先日こゝで落ちあつた二人の話で見ると、石塔は建てたが遺稿は出来ないといふ事だ。本屋へ話したが引き受けるといふ者は無し、友達から醵金するといつても今石塔がやつと出来た
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