しかれども彼が杜詩より得たるか否かは知るに由《よし》なし。ただ杜甫の経歴の変化多く波瀾《はらん》多きに反して、曙覧の事蹟ははなはだ平和にはなはだ狭隘《きょうあい》に、時は逢いがたき維新の前後にありながら、幾多の人事的好題目をその詩嚢《しのう》中に収め得ざりしこと実に千古の遺憾《いかん》なりとす。[#地付き]〔『日本』明治三十二年三月二十六日〕

『古今集』以後今日に至るまでの撰集、家集を見るに、いずれも四季の歌は集中の最要部分を占めて、少くも三分の一、多きは四分の三を占むるものさえあり。これに反して四季の歌少く、雑《ぞう》の歌の著《いちじるし》く多きを『万葉集』及び『曙覧集』とす。この二集の他に秀でたる所以《ゆえん》なり。けだし四季の歌は多く題詠にして雑の歌は多く実際より出《い》づ。『古今集』以後の歌集に四季の歌多きは題詠の行われたるがためにして世下るに従い恋の歌も全く題詠となり、雑の歌も十分の九は題詠となりおわりぬ。曙覧の歌すら四季のには題詠とおぼしきがあり、かつ善からぬが多し。題詠必ずしも悪《あ》しとに非ず、写実必ずしも善しとに非ず。されど今日までの歌界の実際を見るに題詠に善き歌少くして写実に俗なる歌少し。曙覧が実地に写したる歌の中に飛騨《ひだ》の鉱山を詠めるがごときはことに珍しきものなり。
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日の光いたらぬ山の洞《ほら》のうちに火ともし入《いり》てかね掘出《ほりいだ》す
赤裸《まはだか》の男子《おのこ》むれゐて鉱《あらがね》のまろがり砕く鎚《つち》うち揮《ふり》て
さひづるや碓《からうす》たててきらきらとひかる塊《まろがり》つきて粉《こ》にする
筧《かけひ》かけとる谷水にうち浸しゆれば白露手にこぼれくる
黒けぶり群《むらが》りたたせ手もすまに吹鑠《ふきとろ》かせばなだれ落《おつ》るかね
鑠《とろ》くれば灰とわかれてきはやかにかたまり残る白銀の玉
銀《しろがね》の玉をあまたに筥《はこ》に収《い》れ荷緒《にのお》かためて馬|馳《はし》らする
しろがねの荷|負《おえ》る馬を牽《ひき》たてて御貢《みつぎ》つかふる御世のみさかえ
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 採鉱溶鉱より運搬に至るまでの光景|仔細《しさい》に写し出《いだ》して目|覩《み》るがごとし。ただに題目の新奇なるのみならず、その叙述の巧《たくみ》なる、実に『万葉』以後の手際なり。かの魚彦《なひ
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