心持がするに違いない。章魚《たこ》や鮑《あわび》が吸いついた時にそれをもいでのけようと思うても自分には手が無いなどというのは実に心細いわけである。
 土葬も火葬も水葬〈も〉皆いかぬとして、それなれば今度は姥捨山見たような処へ捨てるとしてはどうであろうか。棺にも入れずに死骸許りを捨てるとなると、棺の窮屈という事は無くなるから其処は非常にいい様であるが、併し寐巻の上に経帷子《きょうかたびら》位を着て山上の吹き曝しに棄てられては自分の様な皮膚の弱い者は、すぐに風を引いてしまうからいけない。それでチョイと思いついたのは、矢張寐棺に入れて、蓋はしないで、顔と体の全面丈けはすっかり現わして置いて、絵で見た或国の王様のようにして棄てて貰うてはどうであろうか。それならば窮屈にもなく、寒くもないから其点はいいのであるが、それでも唯一つ困るのは狼である。水葬の時に肴につつかれるのはそれ程でもないが、ガシガシと狼に食われるのはいかにも痛たそうで厭やである。狼の食ったあとへ烏がやって来て臍を嘴でつつくなども癪に触った次第である。
 どれもこれもいかぬとして今一つの方法はミイラになる事である。ミイラにも二種類あるが、エジプトのミイラというやつは死体の上を布で幾重にも巻き固めて、土か木のようにしてしまって、其上に目口鼻を彩色で派手に書くのである。其中には人がいるのには違いないが、表面から見てはどうしても大きな人形としか見えぬ。自分が人形になってしまうというのもあんまり面白くはないような感じがする。併し火葬のように無くなってもしまわず、土葬や水葬のように窮屈な深い処へ沈められるでもなし、頭から着物を沢山被っている位な積りになって人類学の参考室の壁にもたれているなども洒落ているかもしれぬ。其外に今一種のミイラというのはよく山の中の洞穴の中などで発見するやつで、人間が坐ったままで堅くなって死んでおるやつである。こいつは棺にも入れず葬むりもしないから誠に自由な感じがして甚だ心持がよいわけであるが、併し誰れかに見つけられて此ミイラを風の吹く処へかつぎ出すと、直ぐに崩れてしまうという事である。折角ミイラになって見た所が、すぐに崩れてしもうてはまるで方なしのつまらぬ事になってしまう。万一形が崩れぬとした所で、浅草へ見世物に出されてお賽銭を貪る資本とせられては誠に情け無い次第である。
 死後の自己に於ける客観的の観察はそれからそれといろいろ考えて見ても、どうもこれなら具合のいいという死にようもないので、なろう事なら星にでもなって見たいと思うようになる。
 去年の夏も過ぎて秋も半を越した頃であったが或日非常な心細い感じがして何だか呼吸がせまるようで病牀で独り煩悶していた。此時は自己の死を主観的に感じたので、あまり遠からん内に自分は死ぬるであろうという念が寸時も頭を離れなかった。斯ういう時には誰れか来客があればよいと待っていたけれど生憎誰れも来ない。厭な一昼夜を過ごしてようよう翌朝になったが矢張前日の煩悶は少しも減じないので、考えれば考える程不愉快を増す許りであった。然るにどういうはずみであったか、此主観的の感じがフイと客観的の感じに変ってしまった。自分はもう既に死んでいるので小さき早桶の中に入れられておる。其早桶は二人の人夫にかかれ二人の友達に守られて細い野路を北向いてスタスタと行っておる。其人等は皆|脚袢《きゃはん》草鞋《わらじ》の出立ちでもとより荷物なんどはすこしも持っていない。一面の田は稲の穂が少し黄ばんで畦の榛の木立には百舌鳥《もず》が世話しく啼いておる。早桶は休みもしないでとうとう夜通しに歩いて翌日の昼頃にはとある村へ着いた。其村の外れに三つ四つ小さい墓の並んでいる所があって其傍に一坪許りの空地があったのを買い求めて、棺桶は其辺に据えて置いて人夫は既に穴を掘っておる。其内に附添の一人は近辺の貧乏寺へ行て和尚を連れて来る。やっと棺桶を埋めたが墓印もないので手頃の石を一つ据えてしまうと、和尚は暫しの間廻[#「廻」に「(ママ)」の注記]向して呉れた。其辺には野生の小さい草花が沢山咲いていて、向うの方には曼珠沙華も真赤になっているのが見える。人通りもあまり無い極めて静かな瘠村の光景である。附添の二人は其夜は寺へ泊らせて貰うて翌日も和尚と共にかたばかりの回向をした。和尚にも斎をすすめ其人等も精進料理を食うて田舎のお寺の座敷に坐っている所を想像して見ると、自分は其場に居ぬけれど何だかいい感じがする。そういう具合に葬むられた自分も早桶の中であまり窮屈な感じもしない。斯ういう風に考えて来たので今迄の煩悶は痕もなく消えてしもうてすがすがしいええ心持になってしもうた。
 冬になって来てから痛みが増すとか呼吸が苦しいとかで時々は死を感ずるために不愉快な時間を送ることもある。併し夏に比すると頭脳にしまりがあって精神がさわやかな時が多いので夏程に煩悶しないようになった。



底本:「日本の名随筆8 死」作品社
   1983(昭和58)年3月25日第1刷発行
   1991(平成3)年9月1日第17刷発行
底本の親本:「子規全集 第一二巻」講談社
   1975(昭和50)年10月
入力:渡邉つよし
校正:もりみつじゅんじ
2000年11月6日公開
2004年7月21日修正
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