的の観察はそれからそれといろいろ考えて見ても、どうもこれなら具合のいいという死にようもないので、なろう事なら星にでもなって見たいと思うようになる。
去年の夏も過ぎて秋も半を越した頃であったが或日非常な心細い感じがして何だか呼吸がせまるようで病牀で独り煩悶していた。此時は自己の死を主観的に感じたので、あまり遠からん内に自分は死ぬるであろうという念が寸時も頭を離れなかった。斯ういう時には誰れか来客があればよいと待っていたけれど生憎誰れも来ない。厭な一昼夜を過ごしてようよう翌朝になったが矢張前日の煩悶は少しも減じないので、考えれば考える程不愉快を増す許りであった。然るにどういうはずみであったか、此主観的の感じがフイと客観的の感じに変ってしまった。自分はもう既に死んでいるので小さき早桶の中に入れられておる。其早桶は二人の人夫にかかれ二人の友達に守られて細い野路を北向いてスタスタと行っておる。其人等は皆|脚袢《きゃはん》草鞋《わらじ》の出立ちでもとより荷物なんどはすこしも持っていない。一面の田は稲の穂が少し黄ばんで畦の榛の木立には百舌鳥《もず》が世話しく啼いておる。早桶は休みもしないでとうとう夜通しに歩いて翌日の昼頃にはとある村へ着いた。其村の外れに三つ四つ小さい墓の並んでいる所があって其傍に一坪許りの空地があったのを買い求めて、棺桶は其辺に据えて置いて人夫は既に穴を掘っておる。其内に附添の一人は近辺の貧乏寺へ行て和尚を連れて来る。やっと棺桶を埋めたが墓印もないので手頃の石を一つ据えてしまうと、和尚は暫しの間廻[#「廻」に「(ママ)」の注記]向して呉れた。其辺には野生の小さい草花が沢山咲いていて、向うの方には曼珠沙華も真赤になっているのが見える。人通りもあまり無い極めて静かな瘠村の光景である。附添の二人は其夜は寺へ泊らせて貰うて翌日も和尚と共にかたばかりの回向をした。和尚にも斎をすすめ其人等も精進料理を食うて田舎のお寺の座敷に坐っている所を想像して見ると、自分は其場に居ぬけれど何だかいい感じがする。そういう具合に葬むられた自分も早桶の中であまり窮屈な感じもしない。斯ういう風に考えて来たので今迄の煩悶は痕もなく消えてしもうてすがすがしいええ心持になってしもうた。
冬になって来てから痛みが増すとか呼吸が苦しいとかで時々は死を感ずるために不愉快な時間を送ることもある。併し夏に比すると頭脳にしまりがあって精神がさわやかな時が多いので夏程に煩悶しないようになった。
底本:「日本の名随筆8 死」作品社
1983(昭和58)年3月25日第1刷発行
1991(平成3)年9月1日第17刷発行
底本の親本:「子規全集 第一二巻」講談社
1975(昭和50)年10月
入力:渡邉つよし
校正:もりみつじゅんじ
2000年11月6日公開
2004年7月21日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全4ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 子規 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング