だから月夜に利かぬ者とすれば家の外へ持って行けば善い。「桟橋に別れを惜む月夜かな」と直した。この時は神戸の景色であった。どうも落ちつかぬ。横浜のイギリス埠頭場《ふとうば》へ持って来て、洋行を送る処にして見た。やはり落ちつかぬ。月夜の沖遠く外国船がかかって居る景色をちょっと考えたが、また桟橋にもどった。桟橋の句が落ちつかぬのは余り淡泊過ぎるのだから、今少し彩色を入れたら善かろうと思うて、男と女と桟橋で別《わかれ》を惜む処を考えた。女は男にくっついて立って居る。黙って一語を発せぬ胸の内には言うに言われぬ苦《くるし》みがあるらしい。男も悄然《しょうぜん》として居る。人知れず力を入れて手を握った。直に艀舟《はしけ》に乗った。女は身動きもせず立って居た。こんな聯想が起ったので、「桟橋に別れを惜む夫婦かな」とやったが、月がなかった。今度は故郷の三津を想像して、波打ち際で、別を惜むことにしようと思うたがそれもいえず。遂に「見送るや酔のさめたる舟の月」という句が出来たのである。誠に振わぬ句であるけれど、その代り大疵《たいし》もないように思うて、これに極めた。
今まで一句を作るにこんなに長く考えた事はなかった。余り考えては善い句は出来まいが、しかしこれがよほど修行になるような心持がする。此後も間《ひま》があったらこういうように考えて見たいと思う。[#地から2字上げ]〔『ホトトギス』第二巻第二号 明治31[#「31」は縦中横]・11[#「11」は縦中横]・10[#「10」は縦中横]〕
底本:「飯待つ間」岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年3月18日第1刷発行
2001(平成13)年11月7日第10刷発行
底本の親本:「子規全集 第十二巻」講談社
1975(昭和50)年10月刊
初出:「ホトトギス 第二巻第二号」
1898(明治31)年11月10日
※底本では、表題の下に「子規」と記載されています。
※「此後も間《ひま》があったら」の「間」のみは、底本では「門<月」となっています。
入力:ゆうき
校正:noriko saito
2010年4月22日作成
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