句にならぬので、とうとう森の中の小道へ這入り込んだ。そうすると杉の枝が天を蔽《おお》うて居るので、月の光は点のように外に漏《も》れぬから、暗い道ではあるが、忽ち杉の木の隙間《すきま》があって畳一枚ほど明るく照って居る。こんな考から「ところどころ月漏る杉の小道かな」とやったが、余り平凡なのに自ら驚いて、三たび森沿い小道に出て来た。此度は田舎祭の帰りのような心持がした。もぶり鮓《ずし》の竹皮包みを手拭《てぬぐい》にてしばりたるがまさに抜け落ちんとするを平気にて提げ、大分酔がまわったという見えで千鳥足おぼつかなく、例の通り木の影を踏んで走行《ある》いて居る。左側を見渡すと限りもなく広い田の稲は黄色に実りて月が明るく照して居るから、静かな中に稲穂が少しばかり揺《ゆ》れて居るのも見えるようだ。いい感じがした。しかし考が広くなって、つかまえ処がないから、句になろうともせぬ。そこで自分に返りて考えて見た。考えて見ると今まで木の影を離れる事が出来ぬので同じ小道を往たり来たりして居る、まるで狐に化《ばか》されたようであったという事が分った。今は思いきって森を離れて水辺に行く事にした。
海のような広い川の川口に近き処を描き出した。見た事はないが揚子江であろうと思うような処であった。その広い川に小舟が一艘《いっそう》浮いて居る。勿論月夜の景で、波は月に映じてきらきらとして居る。昼のように明るい。それで遠くに居る小舟まで見えるので、さてその小舟が段々遠ざかって終に見えなくなったという事を句にしようと思うたが出来ぬ。しかしまだ小舟はなくならんので、ふわふわと浮いて居る様が見える。天上の舟の如しという趣がある。けれども天上の舟というような理想的の形容は写実には禁物だから外の事を考えたがとかくその感じが離れぬ。やがて「酒載せてただよふ舟の月見かな」と出来た。これが(後で見るとひどい句であるけれど)その時はいくらか句になって居るように思われて、満足はしないが、これに定《き》みょうかとも思うた。実は考えくたびれたのだ。が、思うて見ると、先日の会に月という題があって、考えもしないで「鎌倉や畠の上の月一つ」という句が出来た。素人臭い句ではあるが「酒載せて」の句よりは善いようだ。これほど考えて見ながら運坐《うんざ》の句よりも悪いとは余り残念だからまた考えはじめた。この時験温器を挟んで居る事を思い出したか
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