る兩足踏みのばせし心よさ。曙の頃隱士と某と三人して濱邊より星月夜の井に到る。
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鎌倉は井あり梅あり星月夜
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 長谷の觀音堂に詣でゝ見渡す山の名所古蹟隱士が指さす杖のさき一寸の内にあつまりたり。
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歌にせん何山彼山春の風
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 こゝは何、かしこは何、日蓮の高弟日朗の土窟は此奧なりなど一々に隱士の案内なり。大佛は昔にかはらぬ御姿ながらもその御心には數百年の夢幻何とか觀じ給ふらん。きのふ見し人はけふ見る人にあらず、けふ見る人は明日見ん人にもあらず。況して今の人七百年の昔も知らねば七百年の昔いかでか今の世を推し量らん。
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大佛のうつら/\と春日かな
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 此の夜はまた隱士の家に宿る。「浪音高し汐や滿つらん」と頻りに口ずさみて上の句置き煩へる隱士の聲ほのかになりて我夢はいづくの山をか、かけ※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]りし。翌日は雪の下に古蹟を探る。興亡の感くさ/\に起りてそゞろに胸を衝く思ひなり。
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高とのゝ三つは四つはのあと問へば麥の二葉に雲雀なくなり
いつのよの庭のかたみを賤か家の垣ねつゝきに匂ふ梅の香
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 頼朝の墓こゝぞと上り見れば蔦にからまれ苔に蒸されたる五輪の塔一つ、これが天下の總追捕使のなれのはてにぞありける。鎌倉の宮に詣で、神前に跪けば何とはなしにはや胸ふたがりてはふり落つる涙はらひもあへず。
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梅が香にむせてこぼるゝ涙かな
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 泣く/\鎌倉を去りて再び歸る俗界の中に筆を採りて鎌倉一見の記とはなしぬ。



底本:「現代日本紀行文学全集 東日本編」ほるぷ出版
   1976(昭和51)年8月1日初版発行
初出:「日本」
   1893(明治26)年3月
入力:林 幸雄
校正:浅原庸子
2003年5月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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