積りに候。委細後便。
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追て伊勢の神風、宇佐の神勅云々の語あれども文學には合理非合理を論ずべき者にては無之、從つて非合理は文學に非ずと申したる事無之候。非合理の事にて文學的には面白き事不少候。生の寫實と申すは合理非合理事實非事實の謂にては無之候。油畫師は必ず寫生に依り候へどもそれで神や妖怪やあられもなき事を面白く書き申候。併し神や妖怪を畫くにも勿論寫生に依るものにて、只有の儘を寫生すると一部々々の寫生を集めるとの相違に有之、生の寫實も同樣の事に候。是等は大誤解に候。
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[#地から2字上げ]〔日本 明治31[#「31」は縦中横]・2・24[#「24」は縦中横]〕
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七たび歌よみに與ふる書
前便に言ひ殘し候事今少し申上候。宗匠的俳句と言へば直ちに俗氣を聯想するが如く和歌といへば直ちに陳腐を聯想致候が年來の習慣にてはては和歌といふ字は陳腐といふ意味の字の如く思はれ申候。斯く感ずる者和歌社會には無之と存候へど歌人ならぬ人は大方箇樣の感を抱き候やに承り候。をり/\は和歌を誹《そし》る人に向ひてさて和歌は如何樣に改良すべきかと尋ね候へば其人が首をふつていやとよ和歌は腐敗し盡したるにいかでか改良の手だてあるべき置きね/\など言ひはなし候樣は恰《あたか》も名醫が匙を投げたる死際の病人に對するが如き感を持ち居候者と相見え申候。實にも歌は色青ざめ呼吸絶えんとする病人の如くにも有之候よ。さりながら愚考はいたく異なり、和歌の精神こそ衰へたれ形骸は猶保つべし、今にして精神を入れ替へなば再び健全なる和歌となりて文壇に馳驅するを得べき事を保證致候。こはいはでもの事なるを或る人がはやこと切れたる病人と一般に見|做《な》し候は如何にも和歌の腐敗の甚しきに呆れて一見して抛棄したる者にや候べき。和歌の腐敗の甚しさもこれにて大方知れ可申候。
此腐敗と申すは趣向の變化せざるが原因にて、又趣向の變化せざるは用語の少きが原因と被存候。故に趣向の變化を望まば是非とも用語の區域を廣くせざるべからず、用語多くなれば從つて趣向も變化可致候。ある人が生を目して和歌の區域を狹くする者と申し候は誤解にて少しにても廣くするが生の目的に御座候。とはいへ如何に區域を廣くするとも非文學的思想は容《い》れ不申、非文學的思想とは理窟の事に有之候。
外國の語も用ゐ
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