面白からず相成申候。まして面白からぬ嘘はいふまでもなく候。「露の音」「月の匂《におい》」「風の色」などは最早《もはや》十分なれば、今後の歌には再び現れぬやう致したく候。「花の匂」などいふも大方は嘘なり、桜などには格別の匂は無之、「梅の匂」でも古今以後の歌よみの詠むやうに匂ひ不申候。

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春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香《か》やは隠るる
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「梅闇に匂ふ」とこれだけで済む事を三十一文字に引きのばしたる御苦労加減は恐れ入つた者なれど、これもこの頃には珍しき者として許すべく候はんに、あはれ歌人よ、「闇に梅匂ふ」の趣向は最早打どめに被成《なされ》ては如何《いかが》や。闇の梅に限らず、普通の梅の香も『古今集』だけにて十余りもあり、それより今日までの代々の歌よみがよみし梅の香は、おびただしく数へられもせぬほどなるに、これも善い加減に打ちとめて、香水香料に御用ゐ被成候は格別、その外歌には一切これを入れぬ事とし、鼻つまりの歌人と嘲《あざけ》らるるほどに御遠ざけ被成ては如何や。小さき事を大きくいふ嘘が和歌腐敗の一大原因と相見え申候。
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