ら、一つ吸わせて戴きます。あ、お嬢さん」と彼は娘に声を掛けた、「煙草のにおいがお嫌いじゃないでしょうね」
「あの、何卒《どうぞ》お構いなく」娘は赫《あか》くなって下を向いた。その生《う》ぶな優しさがフリント君の心を捕えた。彼女の林檎《りんご》のような頬、小鳥のような眼、陽に焼けた手、枯草《ヘイ》の香りのするであろう頭髪、そこには紐育の女なぞに見られない線の細《こまか》い愛らしさがあると、フリント君は思った。ラカワナに玉突場を持っているという紳士は問わず語りに、昔この辺は黍強酒《コウンウイスキイ》の醸造で有名だったことや、それが禁酒《ドライ》になってからは下着や女の靴下なぞの製造が盛んになって、自分が今紐育へ行くのも、近く設立される工場の用だ、ということなぞをぼつぼつ話していた。話は途絶え勝で、フリント君は大っぴらに欠伸をした。気の置けない小都会の世話役らしいこの男の淳朴《じゅんぼく》さがフリント君の気に入った。
「ここが空いてるじゃねえか」
 突然《だしぬけ》に大きな声がして、無作法な服装をした青年が、よろよろしながら、向うの客車から這入ってきた。酔っているらしかった。何か喚くように言って、無理に娘の傍へ腰を下ろそうとした。サンドウイチか何かつつましやかに食べていた女は、恐怖と困惑に狼狽して急いで立上ろうとした。
「あ、やったな」と青年が怒鳴った。
「あら、御免下さい。私ほんとに、何うしましょう。つい、何の気なしに押したんですもの」
「何の気なしに? へん、それで済むと思うか。そら、見ろ、こんなに滅茶滅茶に毀れたじゃないか」
 上衣の隠しから彼は時計を出して、娘の前へ突きつけた。よろめきながら豪い権幕で彼は怒鳴り続けた。「何うするんだ。おい、何うして呉れるんだ」
 娘は火のように赤くなった。今にも泣出しそうにおろおろしていた。中世紀の騎士の血を承《う》けているフリント君は気がつく前に立ち上っていた。
「君、君、何だか知らないが言葉使いに気を付け給え、相手は女じゃないか」
「何だと、こりゃ面白い」
 と青年はフリント君のほうへ向き直った。「言葉なんか何の足しにもならねえ。俺は只、時計の代を六十|弗《ドル》この女から貰えばいいんだ」
「何んなにでもお詫びしますから、御免下さいな、ね、ね」
「いんや、不可《いけ》ない。六十弗で此の毀れた時計《やつ》を買って呉れるか、さもな
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