ゃあ見ていたわけじゃねえから――」
「うそ、うそ、うそ! そりゃあうそ[#「うそ」に傍点]だ」
「――?」
「それ御らん。あんた、何も言えないじゃないか」
「それが、だからよ、おりゃあ見てたわけじゃなし――」
「お湯屋のおとめちゃんが死んでお気の毒さま」
「何を言ってるんだ」
「けどねえ、おとめちゃんともす[#「もす」に傍点]さんとは惚れあってた仲なんですからね」
「だからよ。心中だろうってみんなも言ってるじゃねえか。止《よ》せ。面白くもねえ」
「そらね、二人が心中したというと直《す》ぐ怒る」
「てめえこそもす[#「もす」に傍点]のこととなると嫌にしつこいじゃねえか。そのわけをあとで聞くからな、返答を考えとけ」
「わけも何もあるもんか。一つお釜のご飯を食べてた人が死んだんだから――それに、心中でもないものを心中だなんて!」
「こら! 口惜しいかよ、お八重」
「くやしかないさ。口惜しかないけど――おとっつぁんもあんまりじゃないか。死人に口なしだと思って――」
「だからよ、誰も心中だとは言い切ってやしねえ。心中のようなものかも知れないと――」
「ようなものもあるもんか。ふん! 自分が殺しといて」
「これ、お八重、何をいう?」
「おとっつぁんが殺したんだろう?」
「誰をよ?」
「もす[#「もす」に傍点]さんをさ。火をつけたのもおとっつぁんだろう?」
「しょうのねえ女《やつ》だ」
「そら! もうそんな蒼い顔をしてる! ねえ、おとっつぁんが殺したんだ。ほかの人に聞けば、もすさんはあの晩纏いを持ってお湯屋の屋根へ上ってたってけど、梯子がまといを持って屋根へ上るわけはないじゃないか」
「やかましいっ! 纏持ちの源が手に怪我して――」
「うそをお言いでないよ、うそを。あたしはね、源さんにききましたよ。手に怪我をしたのは火事の最中で、最初《はな》行った時に、お前さんが源さんからまといを取って、もす[#「もす」に傍点]さんに渡して、もす[#「もす」に傍点]や、今夜おまえこれを持って俺と一しょに屋根へ来いって――」
「そうよ。そうすると、屋根へ火が抜けたんだ。なあ、見るてえと下におとめちゃんが燃えてる。いいか、よせってのに、もす[#「もす」に傍点]の野郎が覗きこんでて動かねえから、もす[#「もす」に傍点]、さあ来い、下りべえと俺が言った拍子に、あの水だ、滑りやがる――」
「へん! そこを
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