多かったなかに、度々同じ段に座って又七の意地の悪い高調《たかちょう》に悩まされた覚えのある雷門の杵屋竹二郎は、自分の弟子の地《じ》ではあり、これは困ったことになったとは思ったものの、取替えて貰うわけには行かず第一あれ丈の吹手には代りもなし、仕方のないところから和泉屋を説き伏せて白羽二重一匹に金子《なま》を若干、その日の朝のうちに乗物町へ届けさせたのだった。笛に調子を破られては手も足も出ないので、又七の普段を識っている相下方の連中は、吾も吾もと付届けを運ぶことを忘れなかった。するだけのことを済ませば宜かろうと、竹二郎はおっかな喫驚《びっくり》のうちにも幾分の安心をもって舞台へ上ったのだったが、和泉屋からの贈りはそれで好いとしても、彼自身の名前で何も行っていないことに、竹二郎は気が付かなかったのである。
これが豊住又七をこじらしたものとみえて、その夜の笛は出からして調子が高かった。付いて行くためには、他の下方は勿論《もちろん》、唄の和泉屋まで急に加減を上げなければならなかった程、それほど約束を無視したものだった。が、それは未だよかった。はらはら[#「はらはら」に傍点]しながら竹二郎が、撥《ばち》を合せて行くうちに、一調一高《いっちょういっこう》、又七の笛は彼の三味を仇敵《かたき》にしていることが解って来た。そして、満座の中で何度となく彼は糸を切らせられたのである。しかも、新しい名取りの声は、旱《ひで》りの後の古沼のように惨めにも嗄《か》れて終《しま》った――。
それから四日経って又七の遭難。
こんなことには慣れているだけ、助五郎にはすべてが判った。和泉屋だって雷門だって世間態もあれば警察もこわい。で又七代理と偽って和泉屋と雷門の二軒へ据わりこんだ助五郎は大枚の金にありついて、一と月程は豪気に鼻息が荒かった。
あとから小博奕で揚げられた時の、これは天下の助五郎脅喝余罪の一つである。
[#地付き](一九二六年十二月号)
底本:「「探偵趣味」傑作選 幻の探偵雑誌2」光文社文庫、光文社
2000(平成12)年4月20日初版1刷発行
初出:「探偵趣味」
1926(大正15)年12月号
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2005年6月26日作成
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