客間に対座するとすぐ、ロス夫人が言った。
「きっとお笑いになるだろうと思ってずいぶん躊躇《ちゅうちょ》いたしましたが、あんまり気になりますので、思いきっておいでを願いました――じつはわたくし、夢をみました。」
「ははあ、夢を――。」ウォウリング氏はちょっと奇妙な顔をしたが、さすがに笑いはしなかった。「で、どんな夢でしたか。承《うけたまわ》りましょう。」
この、悲嘆に打ちのめされている夫人の手前だけでも、彼は、笑えなかったのである。すこし逡巡《しゅんじゅん》したのち、夫人はその夢物語をはじめた。
「チャアリイの夢でございます。はっきりと見ました――沼のような、川のような、とにかく水のあるところでした。葦《あし》の間にボウトが浮かんでいます。そのボウトの底に――。」
警部の顔を一種恐怖に似た驚愕《きょうがく》が走った。
「なんですって? 水? ボウト?」
「ええ。そのボウトの底に、痩《や》せ衰《おとろ》えたチャアリイが、手足を縛られて、倒れていました。わたくしを見て、ママア、ママアと細い声で呼びながら、いつまでも泣いていますの。チャアリイ! と呼んで駈け寄ろうとしますと、自分の声ではっ[#「はっ」に傍点]として眼が覚めました。けれど、いかにもありあり[#「ありあり」に傍点]とした夢で、葦《あし》の葉が風に揺《ゆ》れていたのさえ覚えています――あら! どうなさいまして?」
夫人が仰天《ぎょうてん》したのも無理はない。ウォウリング警部は、みなまで聞かずに、帽子を握り締めて突っ起《た》っていた。
3
「奥さん!」探偵長はひどく昂奮して、白い顔だった。「不思議なことがあるものですねえ。まったく、気味が悪いほど不思議なことがあるものです。その夢は、いま私どもの持っている確信をいっそう裏づけるばかりです。じつは、誘拐《ゆうかい》者の名は、もう私どものほうにはわかっているのです。モスタアにダグラスという、有名な|河の海賊《リヴア・パイレイト》ではないかと、いや、じゅうぶん信ずるにたる確証が挙《あが》っているのですが、いまのお話で決定したようなものです。必ずチャアリイは、あなたの夢のとおりに、このモスタアとダグラスのボウトに乗せられて、どこかあまり遠くない、葦の生《は》えている川のあたりを漂っているのでしょう。もう大丈夫、こっちのものです。御安心下さい。」
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