も出まい。

 しかし、警察には確たる逮捕の見込みがついているのだ。だから、任せておいてみるがいいとばかりに、おおいに腰が強かった。こうして、いよいよロス氏と警察の間に意見が背馳《はいち》してくると、警察は急に積極的に出た。
 とつじょ、警察の名で新聞広告を出して、チャアリイ・ロスの発見、ならびに誘拐《ゆうかい》者の捕縛《ほばく》に資する重要材料の提出者には、告知と同時に二万五千ドルを与えるというので、これはじつに、真正面から誘拐者を相手どった、思いきった挑戦だった。
 これがいけなかった。この一片の新聞広告である。フィラデルフィアの警察がいまだに責められているのは。そして、いくら責められても仕方がないのは。
 素人《しろうと》が考えてもわかる。これではまるで犯人を愕《おどろ》かして警戒させ、狂暴なやつをいっそう狂暴にし、子供なんかどうでもいいから逃げるならいまのうちに逃げろというのと同じである。が、警察としてはこの態度が正しかったのだろう。立場からいって、ロス氏のように初めから折れて出ることはできない。子供を返してくれ。金はいうだけやる。しかも警察はけっして干渉しない。いわゆる no question asked では、法律が許さない。これは法学者の謂《い》う compounding a felony ――盗品の買いあげもしくは返還賠償《へんかんばいしょう》の条件付きで犯人を赦免《しゃめん》すること――に該当し、近代文明国の刑法原理に悖《もと》る立派な不法行為だからだ。それはそうかもしれない。が、ようするに、理窟《りくつ》は理窟だ。実際には、この警察の広告のために、とうとうあの思いがけない結果となってしまったではないか。のみならず今日にいたるまで、この事件に関するかぎり、そして地球の存続するあいだ、フィラデルフィアの警察当局は頭が上らないでいる。
 そんならば、いかにこの広告が事件の方向を運命的に転換するに役立ったか?――こうだ。
 はたして、これでびっくりした犯人はいっそう深く潜《もぐ》ったものとみえ、とうぶんロス氏のもとへも警察へも、なんらの音信がなかった。と、七月二十四日、犯人から第二の手紙がロス氏へ届いた。前便と同じ手蹟《しゅせき》で、
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「チャアリイが俺たちの手にあるあいだ、おれたちは、アメリカじゅうの探偵が大騒ぎをしたってすこしも
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