すぐに消されるほど吹雪いていた。腿まではいる雪の中を四つ匐いになって歩いた。ごうっと荒れて来ると、鼻先の亭主を見うしなう。その度に女は細い、だが力を込めた声で呼ばった。
「父《とう》はん、離れずにお呉れ。盗るんじゃない、借りるんじゃ。離れんとお呉れ――」
 腰から下は雪に埋まった男も、その声のする度びに立ち竦む。彼はじっと首を立てて方角を見失うまいとする。心を振り立てて「もうじぎじゃぞお――」と女房を励ました。雪の原野を歩くのは長い時間を費した。やっと辿り着いたと安心した時は、正真正銘この畑に埋められて居る筈の馬鈴薯は、他人の所有物だと考え出した。夜更け、吹雪にまぎれて他家の薯を掘ろうとするのは、全く切端つまったからだ。目印しに立っている棒に捉まって、よろよろしている女房に力づけた。
「この下じゃぞ。」
 負子《おいご》を外した男は、自分でスコップを持ち、女には鍬を握らせた。雪は下になるほど固く凍って居た。しかも上からは休みなく降り、風は平原の涯からうなりを立てて吹きつけ、吹き溜めて居た。掘る片っぱしから埋もれて行く。疲れ切った二人は、只、薯があることだけに必死の力を搾り出していた。
「つ、土が出たぞッ!」と男が穴の中で叫んだ。女は鍬を穴の底に打ち込んだ。バサリと燕麦の稈がひっかかった。もう一鍬打ち込んで、彼女は湿った土に坐り込み、両手で矢鱈に掻きまわした。声を低くした男は蹲みかかって
「あるか?」と云った。女は呼吸せわしく長いこと掻きまわしていたが、べたっと尻餅をついた。
「お、おそろしや、一個もないわい――」
「ない?」と男は大声で叫んだ。
「今まであろう筈がない、筈がない――」と女房は身ぶるいして亭主を揺った。吹きつける風の音に自分の声を消されまいと、その頭に噛りつくようにして叫んだ。
「と、とも食いするんかッ! 何処も食うものは無しになった。明日は役場にどうでも押しかけるんじゃ! なあ、父っつぁん!」



底本:「日本プロレタリア文学集・20 「戦旗」「ナップ」作家集(七)」新日本出版社
   1985(昭和60)年3月25日初版
   1989(平成元)年3月25日第4刷
底本の親本:「プロレタリア文学」
   1932(昭和7)年2月号
初出:「プロレタリア文学」
   1932(昭和7)年2月号
入力:林 幸雄
校正:土屋 隆
2001年12月4日公
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