の艶麗と嬌媚との間に自然に現はすのであるから、男の心を動かし、唆《そそ》り、挑発し、是を魅惑するにはこれ以上力の強いものはないといつてゐるのである。
此の如く心の動きを表情[#「心の動きを表情」に白丸傍点]を美の一大資格としてある西洋に於て、黒子《ほくろ》が美となるのは自然の勢である。何故かといへば、黒子は表情を助けて是を強調せしむるに大いに役立つからである。例へば静かに平らかに鏡のやうに澄み切つた水面の上に投げられた一箇の石のやうなもので、その水面を動かして変化を生じ※[#「さんずい+艶」、第4水準2−79−53]々たる波動を起して所謂画龍の点睛となるからである。
黒子が西洋に於て尊重されるのは、彼等が「動」を愛する心理作用から来るのである。然るに東洋の美は「静」の内に存するので、随つて正整がその必要条件となるのである。「動」は正整を乱すから、正整を主とした美には「動」を排斥するのである。これ即ち黒子が西洋で貴《たつと》ばれ、東洋では嫌はれる原因の一かと思はれる。
随つて、西洋には美人の黒子に関した文献もあれば、絵画も随分多くある。これに関する逸話なども少くはないが、わざとここには省くことにする。が一例を挙ぐれば先頃ポオル・モオランが書いた小説「三人女」の中のクラリスに就いて、
……彼女は黒子をつくりかへる。
……………………
……彼女は黒子棒を拭く……
などとある。これは「ムーシユ」を貼り著けるのではなくて、黒子を顔面にすぐに描く今|流行《はや》る簡便式なのである。
ところが東洋には黒子のある美人の絵などはあらう筈もなく、婦人の黒子に関する文献なども、あるにはあるが、矢張り黒子を邪魔物扱ひにした記録なのである。西鶴の「好色一代女」の巻の一の「国主の艶妾」の一節で、それは国主の為めに艶妾を求める一老人が、「大かたこれにあはせて抱えたきとの品好み」の人相書の中に、「……当世顔はすこしく丸く、色は薄花桜にして、目は細きを好まず鼻の間せはしからず、口小さく、歯なみあらあらとして白く……、姿に位そなはりて心立おとなしく……、身に黒子ひとつもなきをのぞみとあらば[#「身に黒子ひとつもなきをのぞみとあらば」に白丸傍点]……」と云うてある。
だから、日本では全身に一つの黒子《ほくろ》さへないのが理想的美人の典型としてあつて、西洋とは正反対である。
日本では昔から男でも女でも、黒子は人物のイダンチテー即ち人違《ひとちがひ》でないことを証拠立てる役にしか立たなかつたやうである。傾城阿波の鳴門、巡礼歌の段にお弓が「とは疑もない我娘と、見れば見るほど稚がほ、見覚のあるひたひのほくろ[#「ひたひのほくろ」に白丸傍点]」や近江源氏先陣館、盛綱陣屋の段に、佐々木四郎左衛門高綱の子の小三郎『眉に一つの黒子迄[#「眉に一つの黒子迄」に白丸傍点]父親に此の似よふ』や、其他、一の谷嫩軍記で、義経にその正体を見抜かれた弥平兵衛宗清の弥陀六の眉間のほくろ[#「眉間のほくろ」に白丸傍点]等は随分名高いものであるが。いづれも黒子に就ての美醜を論外とした観方である。
底本:「日本の名随筆40 顔」作品社
1986(昭和61)年2月25日第1刷発行
1989(平成元)年10月31日第7刷発行
底本の親本:「遊心録(普及版)」第一書房
1931(昭和6)年2月
入力:渡邉 つよし
校正:門田裕志
2002年12月4日作成
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