させるために削ったものであろうと言われている。ド・モルガン氏はこの石柱の外になおバビロン王の記念碑五個をスザにおいて発掘したが、いずれもその一部分を削ってそこにスートルーク・ナクフンテ王の名が彫り附けてあった。これに依って見ると、ド・モルガン氏の発掘したところは、ちょうど戦勝記念博物館のような所であったろうということである。
 この石柱は始めシッパール(Sippar)のエバッバラ(Ebabbara)という所の、日の神の神殿の前に建っておったものであるが、紀元前一一〇〇年の頃エラム人(Elamite)の王スートルーク・ナクフンテがバビロンを征してこれに勝った時、戦利品としてこの石柱をスザに移したものであるということである。
 ハムムラビの石柱法は所々に建てられたものであって、スザで発見されたこの石柱の外にも数個あったらしい。既にスザでも第二の破片が発見され、またバビロンのエサジラの神殿前にも建てられておったということである。
 右の石柱の表面の上部には、日の神シャマシュ(Schamasch)の像が浮彫にしてある。日の神は頭に四層冠を戴いて王座に着き、肩の辺より左右に三条ずつの後光を発し、
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