るのみである。
 第二に、氏の国籍が不明である。モムゼン(Mommsen)は外蕃の人であるといい、フシュケ(Huschke)はローマ人であると主張し、吾人をして転《うた》たその適従に苦しましめる。
 第三に、氏が答弁権(Jus respondendi)(法律上の問題に対し答弁をなす公権)を有せしや否やについても学者の所説は一致しない。或学者は曰く、ディーゲスタ法典編纂委員が受けたユスチニアーヌス帝の訓令には、皇帝の勅許に基づく答弁権を有したる法曹の説のみを蒐集すべしとある。しかるに、同法典中ガーイウスの説を引用すること殊に多いのを見れば、ガーイウスが答弁権を有しておったことは明白であろうという。しかるに、反対論者の説に拠れば、ガーイウスの著書は甚だ多いが、氏の答弁というものは一も存在していない。故に、氏は状師ではなく、教師または純然たる法学者であって、答弁権は有していなかったのであろう。ただ氏の学識が深遠で、名声|嘖々《さくさく》たるよりして、委員などは、帝の訓令に拘泥せずに、氏の学説を法典中に編入したものであろうというておる。
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 三一 評定所に遊女


 評定所は徳
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