ロ亀松、松波仁一郎の三博士を民法起草の補助委員に、山田三良博士を法例起草の補助委員に任ぜられた。
 かくて、民法草案は明治二十六年五月十二日より二十八年の末に至るまで、会議を重ぬること百五十八回にして、総則、物権および債権の三編を議了し、二十九年一月に第九回帝国議会に提出せられ、議会では一箇条の追加と些少の修正とを加えてこれを可決し、同年四月法律第八十九号として右の三編を公布された。
 しかし法典延期の期限は明治二十九年の末日で尽きるのであるから、同年の帝国議会でなお一箇年半の再延期法案を議定し、十二月二十九日に法律第九十四号としてこれを公布された。
 民法の残部即ち親族編、相続編は、明治二十八年九月十四日より六十九回の会議を重ねて議了し、三十年十二月第十一回の帝国議会に提出された。故に民法全部は前後を通じて二百二十七回の会議で議了せられたことになる。これより先き、法典調査会においては、商法の編纂に着手し、同法起草委員たらしめるため、当時欧洲に滞在中なりし岡野敬次郎博士を召還し、梅博士、田部芳《たなべかおる》博士と共に起草の任に当らしめ、その原案は百三十二回の会議を経て議了せられたから
前へ 次へ
全298ページ中280ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
穂積 陳重 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング