「うことに気づき、警察法をもってその末を治めるよりは、むしろその源を塞いで大名取潰しの政策を棄て、浪人発生の原因を杜絶する方がよいということを悟るに至った。
 しかるに、前にも述べた如く、幕府が大名取潰しの原因として利用したものの中で、末期養子の禁はその最も著しいものであって、慶安以前に種々の原因に依って除封または減封せられた諸侯の総数百六十九家の中、六十七家は嗣子の無いために断絶せられ、または特恩をもって減禄に止められたものであるから、これがために夥《おびただ》しい浪人を出したことも明らかである。
 そこで、由井正雪《ゆいしょうせつ》陰謀事件が慶安四年十一月二十九日|丸橋忠弥《まるばしちゅうや》らの処刑で結了すると、幕府は直ちに浪人の処分の事を議した。十二月十日に白書院で開いた閣老の会議では、酒井|讃岐守忠勝《さぬきのかみただかつ》が浪人江戸払のことを発議し、阿部豊後守忠秋の反対論でその詮議は熄《や》んだが、その翌日に養子法改正に関する法令を発し、五十歳以下の者の末期養子は[#以下「レ一二」は返り点]「依二其筋目一」または「依二其品一」これを許し、跡式を立てしめることとした。故に慶安
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