ゲル(Schlegel)とか、哲学史家ブランヂス(Brandis)とか、愛国詩人アルント(Arndt)とか、考古学者ウェルケル(Welcker)とか、ローマ法学者マッケルデイ(Mackeldey)とか、国際法学者ヘフテルとか、その他当時ドイツにおける碩学と交を結ぶことが出来た。また調査その事についても、夫人の援助は莫大なるものであった。かくて、オースチン夫妻はドイツに逗留して、その法律研究法や教授法などの取調を行うこと一年余の後ちロンドンに帰り、オースチンはいよいよロンドン大学の講壇に立って、その多年|蘊蓄《うんちく》した学力を示すこととなった。
しかるに、初めの間は、満堂の聴講生があったけれども、その講義は、現今吾人が氏の著書に依っても知ることが出来るように、甚だ周密であって、普通の学生には、むしろ精細に過ぎるほどであったので、彼らはオースチンの講ずる卓越せる学理を到底|咀嚼《そしゃく》了解することが出来なかったために、聴講者は一人減り二人減り、講義が進行するに随って、その教室は漸々|寂寞《せきばく》を感ずるようになり、後には僅にその前列の机に、十人内外の熱心なる聴講生を遺すに過ぎ
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