フであった。
 その後グローチゥスの大才は、漸く世人の認めるところとなり、宰相ダリヂールの奏請に依って年金の一部を支給せられることとなり、またジャック・ド・メームはその居城の一部を貸してこれに住ましめ、ド・ツーは、その書庫の使用を許してくれたので、その著述はますます進捗《しんちょく》し、遂に一六二五年に至って、二十年前より企てていた「平戦法規論」(De Jure Belli ac Pacis)の大著述は公刊せられることになったのである。
 嗚呼、グローチゥスにして、もしこれを助くるに夫人マリアの貞操義烈をもってしなかったならば、可惜《あたら》非凡の天才も空しく獄裡の骨となりおわり、明教を垂れて万世を益することが出来なかったかも知れないのである。
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 六五 ジョン・オースチン夫人サラー


 ジョン・オースチン(John Austin)は分析法理学の始祖であって、今日に至るもなおイギリス派の法律学者の思想を支配している大家なることは、世人の熟知しているところである。
 しかるに、その名著「法理学講義」(Lectures on Jurisprudence)は、氏の歿後に未亡
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