その会長となった。当時同氏はフランス民法を基礎として日本民法を作ろうとし、箕作麟祥博士にフランス民法を翻訳させて、これを会議に附したことがあった。その節、博士はドロアー・シヴィールという語を「民権」と訳出されたが、我邦においては、古来人民に権利があるなどということは夢にも見ることがなかった事であるから、この新熟語に接した会員らは、容易にこの新思想を理会しかね、「民に権があるとは何の事だ」という議論が直ちに起ったのであった。箕作博士は口を極めてこれを弁明せられたけれども、議論はますます沸騰して、容易に治まらぬ。そこで江藤会長は仲裁して、「活かさず殺さず、姑《しばら》くこれを置け、他日必ずこれを活用するの時あらん」と言われたので、この一言に由って、辛うじて会議を通過することが出来たということである(「江藤南白」)。「他日必ずこれを活用するの時あらん」の一語、含蓄深遠、当時既に後年の民権論勃興を予想し、これに依って大いになすことあらんとしたものの如く思われる。しかも、南白は自己の救いたるこの「民権」の二字を他日に利用して憲政発達のためにその鋭才を用いるに至らず、不幸征韓論に蹉跌して、明治の商
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