麟祥博士をしてフランス民法を翻訳せしめ、二葉《によう》もしくは三葉の訳稿なるごとに、直ちに片端からこれを会議に附したとの事である。また江藤氏が司法卿になった後には、法典編纂局を設け、箕作博士に命じてフランスの商法、訴訟法、治罪法などを翻訳せしめ、かつ「誤訳もまた妨げず、ただ速訳せよ」と頻《しき》りに催促せられたとの事である。箕作博士が学者としての立場は定めて苦しい事であったろうと思いやられる。しかも江藤氏はこの訳稿を基礎として五法を作ろうとし、先ず日本民法を制定しようとして「身分証書」の部を印刷に附した。磯部四郎博士の直話に依れば、当時の江藤司法卿の説は、日本と西洋と慣習も違うけれども、日本に民法というものが有る方がよいか無い方がよいかといえば、それは有る方がよいではないかという論で、「それからフランス民法と書いてあるのを日本民法と書き直せばよい。そうして直ちにこれを頒布しよう」という論であったとの事である。
 この話は「江藤南白」にも載せてあり、また我輩もしばしば磯部博士から直接に聞いたことがある。
 今よりしてこれを観れば、江藤氏の計画は実に突飛極まるものであって、津田真道先生はこ
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