があるが、これは多分杉|亨二《こうじ》先生の案出であろうとのことである。津田真道先生がオランダのシモン・ヒッセリングの著書を訳して明治七年十月に太政官の政表課から出版せられたものに「表紀提綱一名政表学論」というのがある。「西周伝」に拠れば、津田先生は学名としては「綜紀学」という語を用いられたようである。世良太一君の話に拠ると、「政表」という語は、この後明治十年頃までも用いられたということである。
 かくの如く「スタチスチックス」に対する訳字が従来区々であったので、むしろ原語そのままを用いた方が好かろうということで、明治九年頃、杉亨二博士・世良太一氏らの創められた学会には、「スタチスチックス」社という名称を附し、「スタチスチックス」雑誌というのを発刊せられたが、当時「スタチスチックス」という原語に宛てるために※[#「※」は「寸+多」、197−6]※[#「※」は「知の下に+寸」、197−6]※[#「※」は「知の下に久」、197−6]《スタチスチク》という漢字をも案出創造せられたということである。また始め神田氏の用いられた「会計学」という名称も、その字義からいえば至極穏当のようではあるが、「
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