法」と言うておったが、この名称は国と国とが交際をするときの私法規則のように聞えるから、同年にこれを「国際私法」と改めたのである。
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 五四 法例の由来


 法例とは、法律適用の通則を蒐集したものを称するのである。我邦では、この語は、明治十三年以来用いられているが、明治三十年の頃、我輩は法典調査会において、法学博士山田|三良《さぶろう》君の補助を得て、現行の法例を起草した際、この法例という題号の由来を調べてみたところ、凡《およ》そ次のようなものであった。
 支那において、刑法法典編纂の端緒は、けだし魏の文侯が、その臣|李※[#「※」は「りっしんべん+里」、第3水準1−84−49、187−8]《りかい》に命じて、諸国の刑典を集めて、法経六編を制定させたことにあるように思われる。
 李※[#「※」は「りっしんべん+里」、第3水準1−84−49、187−8]は、その法典全部に通ずる例則を総括して、第六編即ち法典の末尾に置き、これを具法と名付けた(史記)。秦の商鞅が法という語を改めて律と称した後は、全法典の通則を具律と称えるようになり、漢の代に、宰相|蕭何《しょうか》が律九章
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