も、明法寮《めいほうりょう》で編纂した「憲法類編」という書物があるが、これは現今の「法令全書」のようなものである。また明治十年から司法省で「憲法志料」が出版になったが、これは故木村|正辞《まさこと》博士の編纂で、推古天皇から後陽成天皇の慶長年中に至るまでの法文を集めたもので、「総類」「文武」「神官僧侶」「農工商」に分類してあって、これまた一般に法令という意味に使ってある。
 憲法という重々しい漢語を用うると、あるいは重要なる法律を指すように聞こえぬでもないが、決して現今のように国家の根本法のみを指すものではなかった。故に西洋の法律学が本邦に渡って来たときに、学者は彼のコンスチチューシオン、フェルファッスングなどの語に当てる新語を鋳造する必要があった。支那にもこれに相当する訳語がなかったものと見えて、安政四年に上海で出版になった米人|裨治文《ブリッジメン》氏著の「聯邦志略」にも、合衆国のコンスチチューシオンを「世守成規」と訳してある。我邦においては、慶応二年に出版になった福沢氏の「西洋事情」には、合衆国のコンスチチューシオンを合衆国「律例」と訳してある。慶応四年に加藤|弘之《ひろゆき》先
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