ものであるかについては、法文または建物の模様においてこれを確かに証明すべきものがないから、学者の説も未だ一定してはおらぬ。例えば、キルヒホフ(Kirchhoff)はクレートの貨幣の比較からこれを考証して、紀元前五世紀の半ばより古いものではないといい、多数の学者は紀元前四〇〇年位のものであろうといい、またダレストは、法文の書体より紀元前六世紀の頃に制定せられたものであるといい、ブュヒレル(Franz Bucheler[「u」はウムラウト(¨)付き])、ティーテルマン(Ernst Zitelmann)両氏は、プラトーンの「法律論」の後ち「十二表法」の前に出来たもので、エフォロス(Ephoros)の「クレート誌」より二、三代前に出来たものであると言うておる。
この法律の年代の考証論は非常に興味の多いものであるが、また非常に細密の点に渉《わた》るものであるから、これを夜話の題とするには不適当である。が、今ここに素人《しろうと》にも解りやすい一、二点を例示すれば、アリストーテレスと同時代のエフォロスの「クレート誌」には、石壁法で始めて定められた法則の事を書いているから、アリストーテレス時代より
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