Eした豚を法廷に牽《ひ》き出して審問、弁論の上、これを絞罪に処したことがある。なお一四五〇年にも豚を絞罪に処した事があったとのことである。
 仏国の歴史家ニコラス・ショリエー(Nicholas Chorier)は、こういう面白い話を述べている。一五八四年ヴァランス(Valence)において、霖雨《りんう》のために非常に毛虫が涌《わ》いたことがあった。ところが、この毛虫が成長するに随ってゾロゾロ這《は》い出し、盛んに家宅侵入、安眠妨害を遣《や》るので、人民の迷惑一通りでない。遂には村民のため捨て置かれぬとあって、牧師の手から毛虫追放の訴訟を提起するという騒ぎとなり、弁論の末、被告毛虫に対して退去の宣告が下った。ところが、被告はなかなか裁判所の命令に服従しない。これには裁判官もはたと当惑し、如何にしてこの裁判の強制執行をしたものかと、額を鳩《あつ》めて小田原評議に日を遷《うつ》す中に、毛虫は残らず蝶と化して飛び去ってしまった。
 シャスサンネ(Chassanee[#「ee」のうち、始めのeはアクサン(´)付き])という人があった。オーツン州で鼠の裁判に弁護をしたので世人に知られ、遂に有名な状師となった。同氏は、鼠に対する公訴において種々の理由の下に三度まで延期を請求したが、第三回目の召喚に対しては、こういう面白い申立をした。
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当地には猫を飼養する者が多いから、被告出廷の途次、生命の危険がある。裁判所は、被告に適当の保護を与えんがために、猫の飼主に命じて開廷日には猫を戸外に出さないという保証状を出させてもらいたい。
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裁判所は大いに閉口した。召喚に際して適当の保護を与えるのは、固《もと》より当然のことであるから、その請求はこれを斥ける訳には行かない。さりとて、その請求の実行は非常な手数である。そこで、裁判は結局無期延期ということになった。
 このように、動植物または無生物に対して訴訟を起し、あるいはこれを刑罰に処するというのは、甚だ児戯に類したことのようであるけれども、害を加えた物に対して快《こころよ》くない感情を惹起《ひきおこ》すのは人の情であって、殊に未開人民は復讐の情が熾《さかん》であるから、木石を笞《むちう》って僅に余憤を洩す類のことは尠《すく》なくない。して見れば、未開の社会に無生物動植物を罰する法があったとて、強《あなが》ち怪しむには足るまい。
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子のあたま、ぶった柱へ尻をやり
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という川柳があるが、この法の精神を説明し得たものといってもよかろう。
 刑罰を正義の実現であるとする絶対主義は、非常に高尚な理論で、目をもって目に報《むく》い、歯をもって歯に報《むく》ゆる復讐主義は、甚だ野蛮の思想であるかの如く説く学者も多いが、元来絶対主義論者が信賞必罰は正義の要求であるとするのも、復讐主義において害を加えたる木石禽獣または人類に反害を加えて満足するのも、畢竟《ひっきょう》同じ心的作用即ち人類の種族保存性から来ているのである。この二主義が同一系統に属するものであるという事は、絶対主義の主唱者とも言うべきカントが、刑法は無上命令(Categorischer Imperativ)なりと言い、たとい国を解散すべき時期に達したとしても、在監中の罪人はことごとく罰せねばならぬと論じ、同時にまた刑罰は反座法(Jus talionis)に拠るべしと言ったのでも知る事が出来よう。
 また一方において、相対主義論者は、刑罰は社会の目的のために存しているという。なるほどそれには違いないが、その目的の中には、直接被害者たる個人、およびその家人、親戚並に間接被害者たる公衆の心的満足というものをも含んでいることを忘れているのは、確かに彼らの欠点である。形こそ変れ、程度こそ異なれ、木を斬罪《ざんざい》にし、牛を絞刑《こうけい》にし、「子のあたまぶった柱」を打ち反《かえ》す類の原素は、文明の刑法にも存してしかるべきものである。いわゆる「正義の要求」とは、この心的満足をいいあらわしたものではあるまいか。学者は、往々この情性を野蛮と罵《ののし》って、一概にこれを排斥するけれども、これ畢竟刑法発達史を知らず、且つまたこの報復性は、種族保存に必要な情性であって、これあるがために、権利義務の観念も発達したものであることを知らないからである。
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 二六 死の骰子《さいころ》


 ドイツの帝室博物館に皇帝よりの御出品として「死の骰子」(Der Todes Wurfel[「u」はウムラウト(¨)付き])という物が陳列してある。第十七世紀の半ば頃、この骰子《さいころ》をもって一の疑獄が解決せられたという歴史附の有名な陳列品である。
 事実は次の如くである。或一人の
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