るいはまた東京府下代言人有志者百余名等からも断行意見書が発表され、延期派では当時まだ若手であった花井|卓蔵《たくぞう》君なども盛んに筆を執って延期論を起草された。当時我輩も、法理上から民法の重《おも》なる欠点を簡単に論じたものを延期派の事務所に送って、意見書中の一節とせられんことを請うたが、事務所から「至極尤もではあるが、この際利目が薄いから御気の毒ながら」と言うて戻して来た。なるほど前に挙げた意見書でも分るような激烈な論争駁撃の場合に、法典の法理上の欠点を指摘するなどは、白刃既に交わるの時において孫呉を講ずるようなもので、我ながら迂濶《うかつ》千万であったと思う。要は議員を動かして来るべき議会の論戦において多数を得ることであった。その目的のために大なる利目《ききめ》のあったのは、延期派の穂積八束氏が「法学新報」第五号に掲げた「民法出デテ忠孝亡ブ」と題した論文であったが、聞けばこの題目は江木衷博士の意匠に出たものであるとのことである。双方から出た仰山《ぎょうさん》な脅し文句は沢山あったが、右の如く覚えやすくて口調のよい警句は、群衆心理を支配するに偉大なる効力があるものである。
 かくて、いよいよ明治二十五年になると、「民法商法施行延期法案」は五月十六日をもって先ず貴族院に提出された。その原案は、
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明治二十三年三月法律第二十八号民法財産編、財産取得編、債権担保編、証拠編、同年三月法律第三十二号商法、同年八月法律第五十九号商法施行条例、同年十月法律第九十七号法例及第九十八号民法財産取得編、人事編ハ其修正ヲ行フカ為メ明治二十九年十二月三十一日マテ其施行ヲ延期ス。
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というので、これに関する討議は、同月二十六、二十七、二十八日の三日間にわたって行われ、賛否両方の論争頗る激烈であったが、就中二十七日午後の討議においては、議論沸騰して議場喧噪を極め、遂に議長|蜂須賀茂韶《はちすかもちあき》侯は号鈴を鳴らして議場の整理を行うという有様であった。原案に反対した人々の中には箕作麟祥博士、鳥尾小弥太子らがあり、原案を賛成した人々の中には加藤弘之博士、富井政章博士、村田保君等の諸君があった。第二読会において延期派の小沢武雄君の発議により、前記の原案に「但シ修正ヲ終リタルモノハ本文期限内ト雖モ之ヲ施行スルコトヲ得」という但書を追加せられ、結局本案に付き採決の結果は、延期を可とする者百二十三、断行を可とする者六十一で、延期派の大勝利に帰した。
 貴族院から回送された延期案は、六月三日に衆議院に現れ、次いで同案は同月十日の本会議に附せられることになったが、司法大臣田中不二麻呂子の原案否決を希望する演説に次いで、渡辺又三郎君、加藤政之助君、宮城浩蔵君等は原案反対の意見を陳べ、これに対して安部井磐根君、三崎亀之助君の原案賛成の演説があったが、討論の中途で、急に山田東次君、宮城浩蔵君等の十名から「民法中一部延期ニ関スル法律案」と題して「明治二十三年法律第九十八号民法中人事編並ニ財産取得編中第十三章及第十四章ノ実施ハ来ル明治二十七年十二月三十一日マテ之ヲ延期ス」という修正案が提出された。この修正案は断行派の拠った最後の塹壕《ざんごう》であって、延期派の砲撃は人事編並に財産取得編中の相続法に対して最も猛烈であったから、この二部だけは見棄てて、他の部分を死守せんとの戦略であったが、大勢如何ともすること能わず、修正説は多数の反対者に依って敗れ、結局原案採決の結果、延期説賛成者百五十二に対する断行説賛成者百七で、延期法案は可決確定することとなった。

  七 戦後における両学派

 商法民法の実施断行および延期修正の論戦は、大体右に述べたような成行であるが、明治二十三年における商法延期戦は、言わば天下分け目の関ヶ原役であって、これに次いで当然起るべくして起った二十五年の民法商法延期戦は、あたかも大阪陣の如きものであったのである。天下の大勢は関ヶ原の一戦に依って既に定ったものの、なお大阪の再挙はどうしても免れることが出来ない勢いであったのである。そしてこの大阪陣を経て始めて大勢一に帰したのである。
 また右に述べたるところに依れば、延期戦は単に英仏両派の競争より生じたる学派争いの如く観えるかも知れぬが、この争議の原因は、素《も》と両学派の執るところの根本学説の差違に存するのであって、その実自然法派と歴史派との争論に外ならぬのである。由来フランス法派は、自然法学説を信じ、法の原則は時と所とを超越するものなりとし、いずれの国、いずれの時においても、同一の根本原理に拠りて法典を編纂し得べきものとし、歴史派は、国民性、時代などに重きを置くをもって、自然法学説を基礎としたるボアソナード案の法典に反対するようになったのは当然の事である
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