チて家界の単位とし、身分に応じて二ランス・ショット、三ランス・ショットという如く、次第にその乗数を増すのであって、国王の宮殿の家界は六十四ランス・ショットであったという。国際法の領海の測定法を弾着距離(Canon−shot)を基準としておったのと、全く同一観念であることは、深く説明を要せぬところであって、両々対比し来って、無限の興趣を覚えるのである。
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九一 断食居催促
アイルランドの古法センカス・モア(Senchus Mor)に拠れば、債務不履行の場合には、債権者は催告(Notice)に次いで財産の差押(Distress)を行うことが許されておった。しかし債務者が高位の人であるか、または目上の人である場合には、直ちにその家に踏み込んで差押を行うのは、余り穏かならぬ次第でもあり、また実行し難い事情もあろう。かくの如き場合に対して、センカス・モアは断食居催促(Fasting upon him)なる奇法を設けている。即ち、債権者は債務者の門前に座を占めて居催促をなし、債務が弁済されるか、担保が提供されるまでは、一塊の麺麭《パン》、一杯の水をも口にしないで、餓死を待つのである。
現今の債務者には、この位の事では驚かない連中が多い。死にたければ勝手に死ねという調子で、平気なものであろう。また催促する方でも、腹が減ればやがて立ち去るのであろうが、古代の人間は中々真面目である。センカス・モアにも、断食居催促に対して担保を供せざる者は、神人共にこれを容れずと記し、僧侶(Druid)も、債権者を餓死せしめたる者は、死後天の冥罰を蒙るべきものなりと説き、人民も一般にかく信じておったのである。故にこの催促法は頗る効力のあったものと思われる。
しかるに殆んど同一の風習が、東洋にも存在していたのは、甚だ面白い現象である。インドの古法(Vyavahara Mayuka)にも、戸口の見張(Watching at the door)という催促法が載せてあるが、マヌ(Manu)その他の法典にはダールナ(Sitting dharna)なる弁済督促法が載せてある。これも同じく断食居催促の法であって、普通人が行っても効力があるが、特に婆羅門僧(Brahmin)がこれを行うと、一層の効果を奏するのであった。というのは、婆羅門《ばらもん》僧は、人も知る如く、インド民族の最上階級であって、その身体は神聖不可侵である。たとい間接にもせよ、婆羅門僧の死に原因を与えた者は、贖罪の途なき大罪人であって、永劫浮かむ瀬なきものと信ぜられている。故に死をもって債務者を威嚇するには、この上もない適任者である。その上都合の好いことには、彼らは難行苦行を積んでいるから、催促の武器たる断食などは御手の物である。彼らは毒薬または短刀などの自殺道具を携帯して、債務者の門前に静座し、何日間でも平気で断食する。もし家人がこれを追い退けようと試み、またはその封鎖を破って外出しようとするときには、直ちに毒薬または短刀を擬して、自殺をもって脅かす。自殺されては堪らぬから、家人は食物を買いに出ることも出来ず、全く封鎖の中に陥ってしまうのである。dharnaとは拘束(arrest)という意味で、Sitting dharnaとは、即ち居催促によって封鎖の状態に陥し入れることをいうのである。ここにおいて、債務者と僧侶との間に、断食の根気競べが始まるのであるが、この点において、天下婆羅門僧に敵するものはない。如何に頑強な債務者も、竟《つい》には閉口して、弁済または担保の提供によって、封鎖を解いてもらうより外はないのである。かく婆羅門僧の居催促は、偉大の効力があるところから、後には普通人が僧侶に依頼して催促をしてもらうことが始まり、遂に婆羅門僧は現今の執達吏のような事を常業とするに至った。インドが英領となり、裁判所も設けらるるに及んで、当局者は大いにこの蛮習の撲滅に苦心し、インド刑法にも禁止の明文を載せたが、多年の因襲は恐しいもので、十九世紀の半ば過ぎまでも、なお全くその迹を絶つには至らなかったということである。
しかるにまた、ペルシアでは、現今でも断食居催促の法が行われているということである。しかもその方法が頗る面白い。債権者は、先ず債務者の門前数尺の地に麦を蒔き、その中央にドッカと座り込む。これ即ちこの麦が成熟して食えるようになるまでは、断食して居催促するぞという、大決心を示す意味である。
以上の例は、いずれも法律の保護が不充分なる時代には、自己の権利を伸張せんがために、如何なる非常手段にまで出でねばならぬかということを示しているものである。吾人は実に平和穏便に自己の権利を主張し得られる聖代の民であることを感謝せざるを得ないではないか。
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九二 地位と収入
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