いが、独り「民法」だけは始めから一度も変ったことがなく、また他の名称が案出されたこともなかったのである。
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 五二 国際法


 国際法の名称は西洋でも多くの沿革があって、始めは万民法(jus gentium)と混ぜられ、または自然法(jus naturale)の一部として論ぜられ、グローチゥスの「平戦法規論」が出た後ちまでもこの種類の法規に対する独立の名称はなかったのであるが、一六五○年にオクスフォールド大学教授のザウチ(Zouch)博士が jus inter gentes(国民間法)なる名称を附してから特別の名称が出来、仏国においても一七五七年にダゲッソー(D'Aguesseau)が Droit entre les nations または Droit entre les gens(国民間法)なる名称を用い、一七八九年にベンサムが International law なる新語を鋳造し、その後ち一般にこの語またはその訳語が行われるようになったのである。ドイツでは Internationales Recht なる訳語を用うることもあるが、通常は Voelkerrecht なる語を用いている。この語は何人が造ったのであるかは確かに知らぬが、あるいは一八二一年のクリューベルの「ヨーロッパ国際法」(Klueber, Europaisches[「a」はウムラウト(¨)付き] Voelkerrecht)などが最も古い例の一つではないかと思う。
 我邦では始めは「万国公法」という名称が一般に行われた。これは米人|丁※[#「※」は「題の頁の代わりに韋」、第4水準2−92−15、182−2]良《ウィリヤム・マーチン》(William Martin)がホウィートンの著書を支那語に翻訳してこれを「万国公法」と題し、同治三年(我元治元年)に出版したのに始まったのである。この書は翌慶応元年に東京大学の祖校なる開成所で翻刻出版せられたが、これまで鎖国独棲しておった我国民は、始めて各国の交通にも条規のあることを知ったのであるから、識者は争うてこの書を読むが如き有様であった。故にこの書は最も広く行われ、この書を註釈しまたは和訳した「和訳万国公法」「万国公法訳義」などの書も広く行われ、また開成所でも丁※[#「※」は「題の頁の代わりに韋」、第4水準2−92−15、182−8]良の「万国公法」を翻刻したのであった。この翌年即ち慶応二年に、同校教授西周助(周)先生がヒツセリングの講義を訳して出版されたが、これも「万国公法」と題せられた。
 かくの如く、初め支那において丁※[#「※」は「題の頁の代わりに韋」、第4水準2−92−15、182−11]良が始めてホウィートンのインターナショナル・ローを「万国公法」と訳したのが本《もと》で、この名称は広く我邦にも行われるようになったのであるが、その後ち彼国においてはかえって単に「公法」と称するようになったのである。丁[#「※」は「題の頁の代わりに韋」、第4水準2−92−15、182−13]良が光緒三年(明治十年)にウールジー(Woolsey)のインターナショナル・ローを訳述した時には、さきに用いた「万国公法」なる名称を棄てて「公法便覧」と題し、書中にも「万国公法」なる語を用いずして総べて「公法」と称している。これは多分後に述べる如く我東京開成学校で「万国」の字を避けたと同一の理由で、ウールジーの書中にインターナショナル・ローは耶蘇教国間の通法であって万国共通の法ではないと書いてあるからであろう。訳文にも[#以下の「」内の、「レ一二」は返り点]「若レ謂二之万国公法一、尚未レ見二万国允従一」といい、また「現有之公法、則多出レ於二泰西奉レ教之国、相待而互認之例一」などあり、支那にもまだインターナショナル・ローは行われておらぬから、万国の語を用いなかったのではないかと思われる。その後ち光緒六年(明治十三年)に、同氏がブルンチュリーの Das moderne Voelkerrecht als Rechtsbuch を漢訳したときもこれを「公法会通」と題した。
 明治二年出版の「外国交際公法」という書があるが、これは福地源一郎氏がマルテンスの「外交案内」(R. Martens, Diplomatic Guide)を訳したものであるから、この書の題を国際法の名称と見ることは出来ぬ。また明治三年二月に発布された「大学規則」および同年閏十月に定められたる「大学南校規則」にも「万国公法」とあるが、明治七年に東京帝国大学の祖校なる東京開成学校において法学の専門教育を始められた時の規則には「列国交際法」となっておる。当時我邦に舶来しておった国際法の書は殆どホウィートンとウールジーの二書に限っておったが、ウールジーの書は簡明な教科書であ
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