、皇学・漢学・洋学などいい、おのおの自家《じか》の学流を立《たて》て、たがいに相|誹謗《ひぼう》するよし。もってのほかの事なり。学問とはただ紙に記したる字を読むことにて、あまりむつかしき事にあらず。学流得失の論は、まず字を知りて後の沙汰《さた》なれば、あらかじめ空論に時日をついやすは益なき事なり。人間の智恵をもって、日本・支那・英仏等、わずか二、三ヶ国の語を学ぶになにほどの骨折《ほねおり》あるや。鄙怯《ひきょう》らしくもその字を知らずしてかえって己《おの》が知らざる学問のことを誹謗するは、男子の恥ずべきことにあらずや。学問をするには、まず学流の得失よりも、我が本国の利害を考えざるべからず。
方今、我が国に外国の交易始り、外国人の内、あるいは不正の輩《はい》ありて、我が国を貧にし我が国民を愚にし、自己の利を営《いとなま》んとする者多し。されば今、我が日本人の皇学・漢学など唱え、古風を慕い新法を悦ばず、世界の人情世体に通ぜずして、自《みず》から貧愚に陥るこそ、外国人の得意ならずや。彼の策中に籠絡《ろうらく》せらるる者というべし。
この時にあたって外人のはばかるものは、ひとり西洋学のみ。
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