中元祝酒の記
福沢諭吉
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)人々《にんにん》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)慶応四年|戊辰《つちのえたつ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から2字上げ]
−−
『西洋事情外篇』の初巻にいえることあり。「人もしその天与の才力を活用するにあたりて、心身の自由を得ざれば、才力ともに用をなさず。ゆえに世界中、なんらの国を論ぜず、なんらの人種たるを問わず、人々《にんにん》自からその身体を自由にするは天道の法則なり。すなわち人はその人の人にして、なお天下は天下の天下なりというが如し。その生るるや、束縛せらるることなく、天より付与せられたる自主・自由の通義は、売るべからずまた買うべからず、人としてその行いを正しゅうし、他の妨をなすに非ざれば」云々《うんぬん》と。
春来《しゅんらい》、国事多端、ついに干戈《かんか》を動かすにいたり、帷幄《いあく》の士は内に焦慮し、干役《かんえき》の兵は外に曝骨《ばっこつ》し、人情《にんじょう》恟々《きょうきょう》、ひいて今日にいたる。ここにおいてか世の士君子、あるいは筆を投じて戎軒《じゅうけん》を事とするあり、あるいは一書生たるを倦《う》みて百夫の長たらんとするあり、あるいは農を廃して兵たる者あり、商を転じて士たる者あり、士を去りて商を営む者あり。事緒《じしょ》紛紜《ふんぬん》、物論《ぶつろん》喋々《ちょうちょう》、また文事をかえりみるに遑《いとま》あらず。ああ、これ、革命の世に遁《のが》るべからざるの事変なるべきのみ。
この際にあたりて、ひとり我が義塾同社の士、固く旧物を守りて志業を変ぜず、その好むところの書を読み、その尊ぶところの道を修め、日夜ここに講究し、起居常時に異なることなし。もって悠然、世と相《あい》おりて、遠近内外の新聞の如きもこれを聞くを好まず、ただ自から信じ自から楽しみ、その道を達するに汲々《きゅうきゅう》たれば、人またこれに告ぐるに新聞をもってする者少なく、世間の情態、また何様《なによう》たるを知らず、社中自からこの塾を評して天下の一桃源と称し、その景況、まったく世と相反するに似たり。
然りといえども、よく事理を詳《つまびらかに》し、そのよるところ、その安んずるところを視察せば、人おのおのその才に所長《
次へ
全2ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
福沢 諭吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング