して急劇なるものに非ず。たとえば我が日本にて古来、足利の末葉、戦国の世にいたるまで、文字の教育はまったく仏者の司どるところなりしが、徳川政府の初にあたりて主として林道春《はやしどうしゅん》を採用して始めて儒を重んずるの例を示し、これより儒者の道も次第に盛にして、碩学大儒続々輩出したりといえども、全国の士人がまったく仏臭を脱して儒教の独立を得るまでは、およそ百年を費し、元禄のころより享保以下にいたりて、はじめて世相を変じたるものの如し。(徳川をはじめとして諸藩にても新に寺院を開基し、または寺僧を聘《へい》して政事の顧問に用うるが如き習慣は、儒教のようやく盛なるとともに廃止して享保以下にこれを見ること少なし。)
 また近時の日本にて、開国以来大に教育の風を改めて人心の変化したるは外国交際の刺衝《ししょう》に原因して、その迅速なること古今世界に無比と称するものなれども、なおかつ三十の星霜を費し、然《し》かも識者の眼には今日の有様をもって変化の十分なるものとせず。如何となれば世間往々旧時の教育法に恋々する者あるをもって、新教育の未だ洽《あま》ねからざるを知るべければなり。教育の効の緩慢にして、
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