ひとたびこれに浸潤するときは、その効力の久しきに持続すること明に見るべし。

 政事の性質は活溌にして教育の性質は緩慢なりとの事実は、前論をもってすでに分明ならん。然らばすなわち、この活溌なるものと緩慢なるものと相混一せんとするときは、おのずからその弊害を見るべきもまた、まぬかるべからざるの数なり。たとえば薬品にて「モルヒネ」は劇剤にして、肝油・鉄剤は尋常の強壮滋潤薬なり。劇痛の患者を救わんとするには「モルヒネ」の皮下注射方もっとも適当にして、医師も常にこの方に依頼して一時の急に応ずといえども、その劇痛のよって来る所の原因を求めたらば、あるいは全身の貧血、神経の過敏をいたし、時候寒暑等の近因に誘われて、とみに神経痛を発したるものもあらん。全身の貧血虚脱とあれば、肝油・鉄剤の類これに適当すべきなれども、目下まさに劇痛を発したる場合にのぞみてはその遠因を求めてこれを問うにいとまあらず、すなわち「モルヒネ」の要用なるゆえんなり。
 然るにその医師が劇痛に投ずるに「モルヒネ」をもってするのみならず、患者の平生に持張して徐々に用うべき肝油・鉄剤をも、その処方を改めて鎮痛即効の物にかえんとするときは、強壮滋潤の目的を達すること能わずして、かえって鎮痛療法の過激なるに失し、全体の生力を損ずることあるべし。
 ゆえに今、一国の政治上よりして天下の形成を観察したらば、所望に応ぜざるものも、はなはだ多からん。農を勧めんとして農業興らず、工商を導かんとして景気ふるわず、あるいは人心|頑冥固陋《がんめいころう》に偏し、また、あるいは活溌軽躁に流るる等にて、これを見て堪え難きは、医師が患者の劇痛を見てこれを救わんとするの情に異ならざるべしといえども、これを救うの術は、ただ政治上の方略に止まるべきのみにして、教育の範囲に立入るべからず。すなわち農工商等の事を奨励せんとならば、有形の利害を示してこれを左右すべし。その効験の著しきは「モルヒネ」の劇痛におけるが如きものあらんといえども、今年今月の農工商をふるわしめんとて、にわかにその教育の組織を左右すればとて、何の効を奏すべきや。またあるいは天下の人心が頑冥固陋なり活溌軽躁なりとて、その頑冥軽躁の今日において、今の政治上に妨あるものを改良し、正に今日の所望に応ぜしめんがためにとて、これを政治の方略に訴るは可なり。
 たとえば日本士族の帯刀はおのずからその士人の心を殺伐に導き、かつまた、その外面も文明の体裁に不似合なればとて、廃刀の命を下したるが如く、政治上に断行して一時に人心を左右するは劇薬を用いて救急の療法を施すものに等しく、はなはだ至当なりといえども、この救急の政略を施すに、かねてまた、これを教育の組織に求めんとするは、肝油・鉄剤に求むるに鎮痛の即効をもってするに異ならず。この薬剤にして、よくこの効を奏すべきか、もしも然らしめんとするには、まずこの薬に配合するに他の薬物をもってし、その性質を変化せしむることなれば、徐々たる滋潤強壮の効力は失い尽さざるをえず。
 すなわち教育緩慢の働を変じて急劇となし、十年二十年に収むべき結果を目下に見んとするものなれば、教育本色の効力はきわめて薄弱たらざるをえざるなり。しかのみならず、その政治上において目下の所望は、あるいは十年を出でずして、大に望むに足らざるの日に会することもあるべし。たとえば今日こそ農業々々といえども、三、五年の中には農よりも商の欠点の見出すことのあるべきが如し。実に政治は臨機応変の活動にして、到底、教育の如き緩慢なるものと歩をともにすべき限りに非ず。もしも強いてこれを一途に出でしめ、今年今月の政治の方向と今年今月の教育の組織とを併行せしめて、教育の即効を今年今月に見んとするときは、その教育は如何様にして何の書を読ましめ何の学芸を授くるも、純然たる政治教育となりて、社会物論の媒介たるべきのみ。
 昔者《せきしゃ》、旧水戸藩において学校の教育と一藩の政事とを混一していわゆる政治教育の風をなし、士民中はなはだ穏かならざりしことあり。政教混一の弊害、明らかに証すべし。ただ我が輩の目的とするところは学問の進歩と社会の安寧とよりほかならず。この目的を達せんとするには、まずこの政教の二者を分離して各独立の地位を保たしめ、たがいに相近づかずして、はるかに相助け、もって一国全体の力を永遠に養うにあるのみ。諸外国にても亜米利加の政治、共和なれども、その教育は必ずしも共和ならず。日耳曼《ジェルマン》の政治、武断なれども、その学校は武断の主義を教うるに非ず。仏蘭西の政体は毎度変革すれども、教育上にはいささかも変化を見ず。その他英なり荷蘭《オランダ》なり、また瑞西《スイス》なり、政事は政事にして教育は教育なり。その政事の然るを見て、教育法もまた然らんと思い、はなはだしきは数十
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