間《てま》だけははぶくべし。ここにて考うれば、筆算に便利あるが如くなれども、数の文字、十字だけは、横文《おうぶん》を知らずしてかなわぬことなれば、今の学校にて教育を受けたるものよりほかには通用すべからず。たとい学校にて加減乗除・比例等の術を学び得て家に帰るも、世間一般は十露盤の世界にしてたちまち不都合あり。
父兄はもちろん、取引先きも得意先きも、十露盤ばかりのその相手に向い、君は旧弊の十露盤、僕は当世の筆算などと、石筆をもって横文字を記すとも、旧弊の連中、なかなかもって降参の色なくして、筆算はかえって無算視《むさんし》せらるるの勢なり。いわんや、その筆算の加減乗除も少しく怪しき者においてをや。学校の勉強はまったく水の泡《あわ》なり。もしもこの生徒が入学中に十露盤の稽古《けいこ》したることならば、その初歩に廃学するも、雑用帳の〆揚《しめあ》げぐらいは出来《でき》て、親の手助けにもなるべきはずなるに、虎の画を学んで猫とも犬とも分らぬもののできたるさまなり。つまり猫ならばはじめから猫を学ぶの便利にしかず。理屈においては筆算と十露盤とともに便利なれども、今の浮世の事実においては、筆算は不便利
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