もこれらは非常別段のこととして、ここにその差支のもっともはなはだしく、もっとも広きものあり。すなわち他にあらず、身代《しんだい》の貧乏、これなり。およそ日本国中の人口三千四、五百万、戸数五、六百万の内、一年に子供の執行金《しゅぎょうきん》五十円ないし百円を出して差支なき者は、幾万人もあるべからず。一段下りて、本式の学問執行は手に及ばぬことなれども、月に一、二十銭の月謝を出すか、または無月謝なれば、子供の教育を頼むという者、また幾十万の数あるべし。
 それより以下幾百万の貧民は、たとい無月謝にても、あるいはまた学校より少々ずつの筆紙墨など貰うほどのありがたき仕合《しあわせ》にても、なおなお子供を手離すべからず。八歳の男の子には、草を刈らせ牛を逐《お》わせ、六歳の妹には子守の用あり。学校の教育、願わしからざるに非ず。百姓の子が学問して後に立身するは、親の心にあくまでも望む所なれども、いかんせん、その子は今日|家内《かない》の一人にして、これを手離すときはたちまち世帯《せたい》の差支となりて、親子もろとも飢寒《きかん》の難渋《なんじゅう》まぬかれ難し。これを下等の貧民幾百万戸一様の有様という
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