ず。然るに、生れて第一番の初学に五十韻とは、前後の勘弁なきものというべし。この事は七、八年前より余が喋々《ちょうちょう》説弁《せつべん》する所なれども、かつてこれに頓着《とんちゃく》する者なし。近来はほとんど説弁にも草臥《くたびれ》たれども、なおこれを忘るること能わず。最後の一発としてここにこれを記すのみ。
書家の説にいわく、楷書《かいしょ》は字の骨にして草書は肉なり、まず骨を作りて後に肉を附くるを順序とす、習字は真より草に入るべしとて、かの小学校の掛図などに楷書を用いたるも、この趣意ならん。一応もっとも至極の説なれども、田舎の叔母より楷書の手紙到来したることなし、干鰯《ほしか》の仕切《しきり》に楷書を見たることなし、世間日用の文書は、悪筆にても骨なしにても、草書ばかりを用うるをいかんせん。しかのみならず、大根の文字は俗なるゆえ、これに代るに蘿蔔《らふく》の字を用いんという者あり。なるほど、細根《ほそね》大根を漢音《かんおん》に読み細根《さいこん》大根といわば、口調も悪しく字面《じづら》もおかしくして、漢学先生の御意《ぎょい》にはかなうまじといえども、八百屋の書付《かきつけ》に蘿蔔一束|価《あたい》十有幾銭と書きて、台所の阿三《おさん》どんが正《まさ》にこれを了承《りょうしょう》するの日は、明治百年の後もなお覚束《おぼつか》なし。
このほかにも俗字の苦情《こごと》をいえば、逸見《へんみ》もいつみと読み、鍛冶町《かぢちょう》も鍛冶町と改めてたんやちょうと読むか。あるいはまた、同じ文字を別に読むことあり。こは、その土地の風ならん。東京に三田《みた》あり、摂州《せっしゅう》に三田《さんだ》あり。兵庫の隣に神戸《こうべ》あれば、伊勢の旧城下に神戸《かんべ》あり。俗世界の習慣はとても雅学先生の意に適すべからず。貧民は俗世界の子なり。まず、骨なしの草書を覚えて廃学すればそれきりとあきらめ、都合よければ後に楷書の骨法をも学び、文字も俗字を先きにして雅言を後にし、まず大根を知って後に蘿蔔に及ぶべきなり。
小学教育の事 三
筆算と十露盤《そろばん》といずれか便利なりと尋ぬれば、両様ともに便利なりと答うべし。石盤と石筆との価、十露盤よりも高からず、その取扱もまた十露盤に異ならず。かつ、筆算は一人の手にかない、十露盤は二人を要す。算の遅速《ちそく》は同様なるも、一人の手
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