したにすぎないことを申し上げれば、この馬の罪もいく分軽くなるわけでしょう。ところでベルが鳴り出しました。今度の競馬で私は少し勝ちたいと思いますから、その説明はいずれ後でゆっくりと委しく申し上げることにしましょう」
その晩、ロンドンへの帰りを、私達は寝台車の一隅に席を占めたが、前週の月曜日にダートムアの競馬場で起った出来事を、順序を追ってホームズは話し、そしていかにしてそれを解決するに至ったかを語り聞かせてくれたから、汽車の無聊を感じるどころか、ロス大佐にしても私にしても時間のたつのを知らなかったくらいである。
「実のところ、新聞の報道を根拠に組立てた私の意見は全然誤っていました。しかも、新聞の記事にも正しい暗示の出ていたことは出ていたのですが、いろんな他の事項のためにそれがかくされていたのです。デヴォンシャへ行くまでは、フィツロイ・シムソンが真犯人だと私は信じていました。もっとも彼に対する証拠は完全だとはむろん考えていませんでしたけれど。
ところが、いよいよ馬車でストレーカの家に着いた時に、ふと羊のカレー料理が非常に重要な意味を持っていることに気がつきました。あの時、私がぼんやりして、みんなが降りてしまったのにまだ馬車の中に残っていたことを覚えていらっしゃるでしょう。あの時私は、こんな明瞭な手懸りがあるのに、どうして今まで見逃していたろうかと、我れながらつくづく驚いていたのです」
「と仰しゃられてもまだ私にはさっぱり分りませんなあ」
大佐はいった。
「あれが私の推理の第一階梯となったのです。阿片末は無味なものではありません。匂いは不快ではありませんが、すぐに知れるものです。だから普通の料理にこれを混ぜれば一口でそれと気がついて食べるのを止《や》めてしまいます。そこでカレーを使えばこの味を消してしまいます。全くの他人であるフィツロイ・シムソンが、この夜あの一家に、カレー料理を食べさせるように仕込んだろうなんてことは、全然想像も許されないことです。それかといって、阿片の味を消す料理の出た晩に、折よくシムソンが阿片を使うつもりで来たと考えるのも、あまりに奇怪な暗合というものです。そんな馬鹿なことは考えられません。だから、シムソンはこの事件から除外することが出来、その夜の御馳走をカレー料理と定《き》めることの出来る人、すなわちストレーカ夫婦に我々の注意は集中されるわけです。阿片は厩舎に残ってるハンタの分として、別の皿へとり分けられてから入れたものです。同じものを食べた他の人達に、異状のなかったのでも知れます。では、女中に気づかれないようにその皿に近附いたのは夫婦の中《うち》果してどっちでしょうか?
一つの正しい結論は、必然第二の結論を暗示するものです。この問題を解く前に私は、あの晩犬が騒がなかったという重大な事実に想到しました。シムソン事件のおかげで私は厩舎に犬の飼ってあることを知りましたが、夜中に誰かが厩舎へ入って馬をつれ出したのに犬が吠えなかった、少くとも二階に寝ていた二人の若者の眼をさますほどには吠えなかったという事実に考え至りました。これは馬をつれ出した者が、犬のよく知ってる人物であるということを示しています。
そこで私は真夜中に厩舎へ行って白銀をつれ出したのはジョン・ストレーカであると断じました。断じてよいと思いました。しからばそれは何んのためであったか? 無論不正の目的のためであることはいうまでもありません。でなければ何んで薬で厩番を眠らせたりしましょう。しかも、不正な目的とまでは分っても、それが果してどんなことであるか私には分りません。調馬師が自分の預かっている馬を故意に痛めて出場不可能ならしめ、それによってうまうまと大金を得る例はこれまでもいくらもあったことです。時には騎手を手に入れて八百長をやらせたり、また時には、もっと確実で、分りにくい方法を執ることもありますが、この場合は果してどうでしょう? ストレーカのポケットにあった品物を見れば、何かこの間の消息を知る手懸りがありそうなものだと私は思いました。
その品物は果して役に立ちました。お忘れもありますまいが、ストレーカは不思議なナイフを握って倒れていました。あれは決して普通の人間の持つナイフではありません。ワトソン君も申した通り、あれは極めて緻密な外科手術に使うメスの一種です。しかも、まさしくあの晩は緻密な手術をするため用意されていたものなんです。大佐、あなたの競馬に関する広い経験をもってすれば、馬の膝膕部《ひざかがみ》の腱に、外面に何んの痕跡をも残さず皮下手術的にちょっと傷をつけることは容易であって、しかもそれをやられた馬は軽い跛《びっこ》を引き出すけれど、調馬中に筋でも違《たが》えたかそれとも軽いリウマチスに罹ったかということになって、不正の行われた
前へ
次へ
全14ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
福沢 諭吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング