佐のあの様子じゃどんなことをしたって、寛大な処置をとりそうもないね」
「この事件は大佐の一存じゃきまらないんだ。僕は自分の思う通りに歩を進めていいように話しておく。そこは警察の役人でない有難さ。君はどう思ったか知らないが、大佐の態度は僕には少々|素気《そっけ》なさすぎた。だから費用は先持ちで、ちょっとばかり面白いことをしてやろうと思うんだ。馬のことは大佐には何んにもいわずにおきたまえ」
「いいとも、君が許すまでは黙ってるよ」
「もっともこんなことはジョン・ストレーカ殺しの犯人問題に比べれば、ごく些細なことだがね」
「じゃ、これからその方に専念するつもりなのか?」
「いいや、夜行列車で一緒にロンドンへ帰ろう」
 ホームズのこの言葉に私はひどく驚かされた。デヴォンシャへ来てまだ二三時間にしかならないのに、これほど素晴しい成功を持って進捗しつつある事件を、すっぱりと見切りをつけてしまおうとする彼の腹が、私には分らなかった。いろいろ訊ねてみたが、彼が黙々として、ストレーカの家へ帰りつくまで一言も発しなかった。帰ってみると、大佐は警部と一緒に客間で待っていた。
「私達は今晩の夜中の汽車でロンドンへ引揚げます」
 ホームズはいった。
「おかげでダートムアの美しい空気を、しばらく呼吸させていただきました」
 これを聞いて警部は呆気にとられ、大佐は唇に冷笑を浮べた。
「では、ストレーカ殺しの犯人は捕まらんと断念されたんですか?」
 ホームズは昂然として、
「非常な困難が横《よこた》わってることは事実です。それにしてもこの火曜日にあなたの馬が競馬に出られることは、相違あるまいと思われます。どうか騎手の御用意をお忘れないように。それから、ストレーカ氏の写真を一枚拝借願いたいと思いますが」
 グレゴリ警部はポケットに持っていた封筒から一枚取出して、ホームズに渡した。
「グレゴリさんは私が欲しいと思うものはいつも先廻りして用意しておいて下さるですね、有難う。ところで、しばらく皆さまにお待ちを願って、女中に二三質問したいことがありますが――」
 ホームズが部屋を出て行くと大佐は露骨にいった。
「ロンドンなんかからわざわざ探偵を呼んでどうも馬鹿を見ちゃった。あの男が来てからこればかりも捗ったことか!」
「少なくとも白銀が競馬に出ることだけはホームズは保証しましたよ」
 私は口を入れた。
「なるほど、その保証はあった」
 大佐は冷笑を浮べて、
「保証よりは馬を早く戻してもらった方がいい」
 私がホームズのために弁明しようとしたところへ、彼は入って来た。
「それでは皆さん、いつでもタヴィストックへお供いたしましょう」
 私達が馬車に乗ろうとすると、一人の若者が扉《ドア》を押えていてくれた。ホームズはつと何か考えついたらしく若者の袖を引いて訊ねた。
「調馬場の柵の中に羊が少しいるようだが、誰が世話するのかね?」
「私がやりますんで」
「近頃何か羊に変ったことはなかったかね?」
「へえ、大したこともございませんが、三頭だけどういうものか跛《ちんば》になりましたんで」
 ホームズはいと満足げだった。ニッコリと笑って、頻りに両手をこすり合せていた。
「大変な想像だよ、ワトソン君、非常に大胆な想像が当ったよ。グレゴリさん、羊の中に妙な病気が流行しているのは、大《おおい》に御注意なさったらいいと思います。じゃ、馭者君やって下さい」
 ロス大佐は依然としてホームズを軽蔑するらしい顔をしていたが、警部はいたく注意を喚起させられたらしかった。
「あなたはそれを重大視されますか?」
 警部はいった。
「極めて重大視します」
「その他何か私の注意すべきことはないでしょうか?」
「あの晩の犬の不思議な行動に御注意なさるといいでしょう」
「犬は全然何もしなかったはずですが」
「そこが不思議な行動だと申すのです」

 それから四日たって私達はウェセクス賞杯争覇戦を見るために、再びウィンチェスタ行の汽車に乗った。約束通りロス大佐は停車場の入口まで来て待っていてくれたので、私達はそのまま大佐の四頭立《よんとうだて》馬車で市はずれの競馬場へ向った。大佐はひどく暗い顔をして、更に元気がなかった。
「私の馬を一向見かけないようですがね」
 大佐はいった。
「ごらんになれば御自分の馬だからお分りになるでしょう」
 ホームズはそういった。
 大佐はムッとして、
「私は二十年来競馬場に出入りしているが、只今のようなお訊ねを受けるのは始めてです。あの馬の純白の額と、斑の前脚とを見れば、子供にだって分ることです」
「賭けはどんな模様です」
「その点だけはどうも妙です。昨日なら十五対一でも売り手があったのに、だんだん差が少くなって、今では三対一でもどうですかな」
「ふむ!」ホームズは独りごちて、
「何か知っ
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