り。ゆえに今、帝室より私学校を保護するに、かねて、学者の篤志なるものを撰び、これに年金をあたえて、その生涯安身の地位を得せしめたらば、おのずから我が学問社会の面目を改めて、日新の西洋諸国に並立し、日本国の学権を拡張して、鋒《ほこさき》を海外に争うの勢にいたるべきなり。
財政の一方より論ずれば、常式の官職もなきものへ毎年若干の金をあたうるは不経済にも似たれども、常式の官員とて必ずしも事実今日の政務に忙わしくする者のみに非ず。政府中に散官《さんかん》なるものありて、その散官の中には学者も少なからず。
たとい、あるいは散官ならざるも、生来文事をもってあたかもその人の体格を組織したる人物は、これを政事に用いてその用をなすに足らず。学者はこれに事を諮問するに適して、これに事を任するに不便利なり。かかる人物を政府の区域中に入れて、その不慣《ふなれ》なる衣冠をもって束縛するよりも、等しく銭《ぜに》をあたうるならば、これを俗務外に安置して、その生計を豊にし、その精神を安からしむるに若《し》かず。元老院中二、三の学者あるも、その議事これがために色を添うるに非ず。海陸軍中一、二の文人あるも、戦場の勝敗に関すべきに非ず。あるいは学者文人に諮問の要もあらば、その時にしたがいてこれに問うこと、はなはだ易し。国の大計より算すれば、年金の法、決して不経済ならざるなり。
帝室より私学校を保護し、学者を優待するは、学問の進歩を助くるのみならず、我が国政治上に関しても大なる便益を呈することならん。そもそも文字の意味を広くしていえば、政治もまた学問中の一課にして、政治家は必ず学者より出で、学校は政談家を生ずるの田圃《でんぽ》なれども、学校の業成るの日において、その成業《せいぎょう》の人物が社会の人事にあたるに及びては、おのおのその赴くところを異にせざるをえず。工たり、商たり、また政治家たり。あるいは学成るもなお学問を去らず、畢生《ひっせい》を委ねて学理の研究または教育の事を勉むる者あり。すなわち純然たる学者なり。
されば、工商または政治家は、その所得の学問を人間の実業に利用する者にして、学者は生涯学問をもって業となす者なり。前にもいえる如く、政治の国のために大切なるは、学問の大切なるに異ならず。政治学、日《ひび》に進歩せざるべからず。国民全体に政治の思想なかるべからず。政談熱心せざるべからず。政事、常に語るべし。国民にして政治の思想なきは、唐虞三代の愚民にして、名は人民なるもその実は豚羊に異ならず。ともに国を守るに足らざるものなれば、いやしくも国を思うの丹心《たんしん》あらんものは、内外の政治に注意せざるべからず。
政治の事、はなはだ大切なりといえども、これは人民一般普通の心得にして、ここに政治家と名づくるものは、一家専門の業にして、政権の一部分を手にとり、身みずから政事を行わんとする者なれば、その有様は、工商がその家業を営み、学者が学問に身を委《ゆだぬ》るに異ならず。これを要するに、国民一般に政治の思想を養えとは、国民一般に学問の心掛けあるべしというに異ならず。人として学問の心掛けは大切なれども、全国の人民、悉皆《しっかい》学者たるべきに非ず。人として政治の思想は大切なれども、全国の人民、悉皆政治家たるべきに非ず。
世人|往々《おうおう》この事実を知らずして、政治の思想要用なりといえば、たちまち政治家の有様を想像して、己《おの》れ自から政壇にのぼりて政《まつりごと》をとるの用意し、生涯政事の事業をもって身を終らんと覚悟するもの多し。学問といえばたちまち大学者を想像して、生涯、書に対して身を終らんとする者あるが如し。その心掛けは嘉《よ》みすべしといえども、人々《にんにん》に天賦の長短もあり、家産・家族の有様もあり、幾千万の人物が決して政治家たるべきにも非ず、また大学者たるべきにも非ず。世界古今の歴史を見ても、その事実を証すべきなれば、政治も学問も、その専業に非ざるより以外は、ただ大体の心得にしてやみ、尋常一様の教育を得たる上は、おのおのその長ずるところにしたがい、広き人間世界にいて随意に業を営み、もって一身一家のためにし、またしたがって国のためにすべきなり。
政治も学問も相互《あいたがい》にその門を異にして、人事中専門の一課とするときは、各門相互に干渉すべからざるはむろん、おのおの自家の専業を勉めて、相互にかえりみることもなきを要す。政治家たるものが、すでに学問受教の年齢をおわりて、政事に志し、また政事をとるにあたりては、自身に学問の心掛けはもとより怠るべからざるも、学校教育上のことは忘れたるが如くにこれを放却せざるべからず。学者が学問をもって畢生《ひっせい》の業と覚悟したるうえは、自身に政治の思想はもとより養うべきも、政壇青雲の志は断じて廃棄せざる
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