事、常に語るべし。国民にして政治の思想なきは、唐虞三代の愚民にして、名は人民なるもその実は豚羊に異ならず。ともに国を守るに足らざるものなれば、いやしくも国を思うの丹心《たんしん》あらんものは、内外の政治に注意せざるべからず。
政治の事、はなはだ大切なりといえども、これは人民一般普通の心得にして、ここに政治家と名づくるものは、一家専門の業にして、政権の一部分を手にとり、身みずから政事を行わんとする者なれば、その有様は、工商がその家業を営み、学者が学問に身を委《ゆだぬ》るに異ならず。これを要するに、国民一般に政治の思想を養えとは、国民一般に学問の心掛けあるべしというに異ならず。人として学問の心掛けは大切なれども、全国の人民、悉皆《しっかい》学者たるべきに非ず。人として政治の思想は大切なれども、全国の人民、悉皆政治家たるべきに非ず。
世人|往々《おうおう》この事実を知らずして、政治の思想要用なりといえば、たちまち政治家の有様を想像して、己《おの》れ自から政壇にのぼりて政《まつりごと》をとるの用意し、生涯政事の事業をもって身を終らんと覚悟するもの多し。学問といえばたちまち大学者を想像して、生涯、書に対して身を終らんとする者あるが如し。その心掛けは嘉《よ》みすべしといえども、人々《にんにん》に天賦の長短もあり、家産・家族の有様もあり、幾千万の人物が決して政治家たるべきにも非ず、また大学者たるべきにも非ず。世界古今の歴史を見ても、その事実を証すべきなれば、政治も学問も、その専業に非ざるより以外は、ただ大体の心得にしてやみ、尋常一様の教育を得たる上は、おのおのその長ずるところにしたがい、広き人間世界にいて随意に業を営み、もって一身一家のためにし、またしたがって国のためにすべきなり。
政治も学問も相互《あいたがい》にその門を異にして、人事中専門の一課とするときは、各門相互に干渉すべからざるはむろん、おのおの自家の専業を勉めて、相互にかえりみることもなきを要す。政治家たるものが、すでに学問受教の年齢をおわりて、政事に志し、また政事をとるにあたりては、自身に学問の心掛けはもとより怠るべからざるも、学校教育上のことは忘れたるが如くにこれを放却せざるべからず。学者が学問をもって畢生《ひっせい》の業と覚悟したるうえは、自身に政治の思想はもとより養うべきも、政壇青雲の志は断じて廃棄せざる
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