るも、糊口《ここう》の道なきをいかんせん。口を糊《こ》せんとすれば、学を脩むるの閑《かん》なし、学を脩めんとすれば、口を糊するを得ず。一年三百六十日、脩学、半日の閑を得ずして身を終るもの多し。道のために遺憾なりというべし。
(我が輩かつていえらく、打候聴候《だこうちょうこう》は察病にもっとも大切なるものなれども、医師の聴機|穎敏《えいびん》ならずして必ず遺漏《いろう》あるべきなれば、この法を研究するには、盲人の音学に精《くわ》しき者を撰びて、まず健全なる肺臓心臓等の動声を聴かしめ、次第に患者変常のときに試みて、その音を区別せしめたらば、従前医師の耳にて五種に分ちたるものも、盲人の耳にはその一種中を細別して二、三類に分つこともあるべし。すなわち従前の察病法五様なりしものが、五に三を乗じて十五様の手掛りをうべし。この試験、はたして有効のものならば、医学部には必ず音学をもって一課となし、青年学生の聴機穎敏なる時に及びて、これに慣れしめざるべからず。あるいはその俊英なる者は、打候聴候をもって専門の業となして、これを用うるも可ならん。けだし医学の秘密は、これらの注意によりて発明することもあらんと信ず。)
ひとり医学のみならず、理学なり、また文学なり、学者をして閑を得せしめ、また、したがって相当の活計あらしむるときは、その学者は決して懶惰《らんだ》無為《むい》に日月《じつげつ》を消する者に非ず、生来の習慣、あたかも自身の熱心に刺衝《ししょう》せられて、勉強せざるをえず。而《しこう》してその勉強の成跡は発明工風にして、本人一個の利益に非ず、日本国の学問に富を加えて、国の栄誉に光を増すものというべし。また、著述書の如きも、近来、世に大部の著書少なくして、ただその種類を増し、したがって発兌《はつだ》すれば、したがって近浅の書多しとは、人のあまねく知るところなるが、その原因とて他にあらず、学者にして幽窓《ゆうそう》に沈思するのいとまを得ざるがためなり。
けだし意味深遠なる著書は読者の縁もまた遠くして、発兌の売買上に損益|相償《あいつぐの》うを得ず、これを流行近浅の雑書に比すれば、著作の心労は幾倍にして、所得の利益は正しくその割合に少なし。大著述の世に出でざるも偶然に非ざるなり。いずれも皆、学問上には憂うべきの大なるものにして、その憂の原因は学者の身に閑なくして家に恒産なきがためな
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