りというべし。
 過日、『時事新報』の社説にもいえる如く(一月一一日社説)、我が開国の初め攘夷論の盛なる時にあたりても、洋学者流が平生より西洋諸国の事情を説きて、あたかも日本人に開国の養生法を授けたるに非ずんば、我が日本は鎖国攘夷病に斃《たお》れたるやも計るべからず。学問の効力、その洪大《こうだい》なることかくの如しといえども、その学者をしてただちに今日の事にあたらしめんとするも、あるいは実際の用をなさざること、世界古今の例に少なからず。摂生学《せっせいがく》専門の医師にして当病の治療に活溌ならざるものと一様の道理ならん。
 されば、学問と政治とはまったくこれを分離して相互に混同するを得せしめざること、社会全面の便利にして、その双方の本人のためにもまた幸福ならん。西洋諸国にても、執政の人が文学の差図して世の害をなし、有名なる碩学《せきがく》が政壇に上りて人に笑われたるの例もあり。また、我が封建の諸藩において、老儒先生を重役に登用して何等の用もなさず、かえって藩土のために不都合を起して、その先生もついに身を喪《ほろぼ》したるもの少なからず。ひっきょう、摂生法と治療法と相混じたるの罪というべきものなり。
 学問と政治と分離すること、国のためにはたして大切なるものなりとせば、我が輩は、今の日本の政治より今の日本の学問を分離せしめんことを祈る者なり。すなわち文部省及び工部省直轄の学校を、本省より離別することなり。そもそも維新の初には百事|皆《みな》創業にかかり、これは官に支配すべき事、それは私《し》に属すべきものと、明らかに分界を論ずる者さえなくして、新規の事業は一切政府に帰し、工商の細事にいたるまでも政府より手を出だすの有様なれば、学校の政府に属すべきはむろんにして、すなわち文部・工部にも学校を設立したるゆえんなれども、今や十六年間の政事《せいじ》、次第に整頓するの日にあたりて、内外の事情を照し合せ、欧米文明国の事実を参考すれば、我が日本国において、政府がただちに学校を開設して生徒を集め、行政の官省にてただちにこれを支配して、その官省の吏人たる学者がこれを教授するとは、外国の例にもはなはだ稀《まれ》にして、今日の時勢に少しく不都合なるが如し。
 もとより学問の事なれば、行政官の学校に学ぶも、またいずれの学問所に学ぶも同様なるべきに似たれども、政治社会の実際において然らざる
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