子を収領すべし。名は五百万円を下附すというも、その実は現金を受授するに非ず、大蔵省中貯蓄の公債証書に記名を改《あらたむ》るのみ。また、この大金を人民に下附するとはいえども、その人の私《わたくし》に恵与するに非《あら》ざるはむろんにして、私の字に冠するに共同の字をもってすれば、もとより一個人の私すべからざるや明らかなり。
 私立学校はすでに五百万円の資金を得て、維持の法はなはだやすし。ここにおいてなお、全国の碩学《せきがく》にして才識徳望ある人物を集めて、つねに学事の会議を開き、学問社会の中央局と定めて、文書学芸の全権を授け、教育の方法を議し、著書の良否を審査し、古事を探索し、新説を研究し、語法を定め、辞書を編成する等、百般の文事を一手に統轄し、いっさい政府の干渉を許さずして、あたかも文権の本局たるべし。
 在昔《ざいせき》、徳川政府|勘定所《かんじょうどころ》の例に、旗下《はたもと》の士が廩米《りんまい》を受取るとき、米何石何斗と書く米の字は、その竪棒《たてぼう》を上に通さずして俗様《ぞくよう》に※[#「米」の縦棒の上半分を取ったもの、102−5]と記すべき法なるを、ある時、林大学頭より出したる受取書に、楷書をもって尋常に米と記しければ、勘定所の俗吏輩、いかでこれを許すべきや、成規に背《そむ》くとて却下したるに、林家においてもこれに服せず、同家の用人と勘定所の俗吏と一場の争論となりて、ついに勘定奉行と大学頭と直談《じきだん》の大事件に及びたるときに、大学頭の申し分に、日本国中文字のことは拙者一人の心得にあり、米は米の字にてよろしとの一言にて、政府中の全権と称する勘定奉行も、これがために失敗したりとの一話あり。右は事実か、あるいは好事家《こうずか》の作りたる奇話か、これを知るべからずといえども、林家に文権の帰したる事情は、推察するに足るべし。
 今日は時勢もちがい、かかる奇話あるべきようもなしといえども、もしも幸にして学事会の設立もあらば、その権力は昔日の林家の如くならんこと、我が輩の祈るところなり。また、学事会なるものが、かく文事の一方について全権を有するその代りには、これをして断じて政事に関するを得せしめず、如何なる場合においても、学校教育の事務に関する者をして、かねて政事の権をとらしむるが如きは、ほとんどこれを禁制として、政権より見れば、学者はいわゆる長袖《ちょ
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