《そご》するとは、議論に言うところと実地に行なうところと一様ならずということなり。「功に食《は》ましめて志に食ましめずとは、「実地の仕事次第によりてこそ物をも与うべけれ、その心になんと思うとも形もなき人の心事をば賞すべからず」との義なり。また俗間に、「某《なにがし》の説はともかくも、元来働きのなき人物なり」とてこれを軽蔑することあり。いずれも議論と実業と相当せざるを咎《とが》めたるものならん。
 さればこの議論と実業とは寸分も相齟齬せざるよう正しく平均せざるべからざるものなり。今、初学の人の了解に便ならしめんがため、人の心事と働きという二語を用いて、その互いに相助けて平均をなし、もって人間の益を致す所以《ゆえん》と、この平均を失うよりして生ずるところの弊害を論ずること左のごとし。
 第一 人の働きには、大小軽重の別あり。芝居も人の働きなり、学問も人の働きなり、人力車を挽《ひ》くも、蒸気船を運用するも、鍬をとりて農業するも、筆を揮《ふる》いて著述するも、等しく人の働きなれども、役者たるを好まずして学者たるを勤め、車挽きの仲間に入らずして航海の術を学び、百姓の仕事を不満足なりとして著書の業
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