の説あれども、たとい院を開くも第一に説を述ぶるの法あらざれば、議院もその用をなさざるべし。
演説をもって事を述ぶれば、その事柄の大切なると否とはしばらく擱《お》き、ただ口上をもって述ぶるの際におのずから味を生ずるものなり。譬えば文章に記《しる》せばさまで意味なきことにても、言葉をもって述ぶればこれを了解すること易《やす》くして人を感ぜしむるものあり。古今に名高き名詩名歌というものもこの類にて、この詩歌を尋常の文に訳すれば絶えておもしろき味もなきがごとくなれども、詩歌の法に従いてその体裁を備うれば、限りなき風致を生じて衆心を感動せしむべし。ゆえに一人の意を衆人に伝うるの速やかなると否とは、そのこれを伝うる方法に関することはなはだ大なり。
学問はただ読書の一科にあらずとのことは、すでに人の知るところなれば今これを論弁するに及ばず。学問の要は活用にあるのみ。活用なき学問は無学に等し。在昔《ざいせき》或る朱子学の書生、多年江戸に修業して、その学流につき諸大家の説を写し取り、日夜怠らずして数年の間にその写本数百巻を成し、もはや学問も成業したるがゆえに故郷へ帰るべしとて、その身は東海道を下り、
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